side B 2

 本日も能島廉の「競輪必勝法」を話題とします。
 とはいっても、なかなか本題にはたどりつきません。まずは「side B」です。
 佐藤正午さんは、ふるさとの佐世保に戻って小説を書いているのですが、競輪ファンで
あることを公言しています。(他にどんな著名人が競輪場に足を運んでいるのでしょう。
いまほど検索をしてみましたら、伊集院静さんなどの名前があがっていました。佐藤正午
さんの名前はなくて、次に更新するときは加えるべきでしょうよ。)
 小学館文庫「side B」の帯には、佐藤正午さんの書き文字で、「もうひとりの僕が
ここにいる」とあります。あくまでもこの本のなかにいるのは「もうひとりの僕」で
あるといっているのですね。( しつこいようですがA面ではなくて、競輪ファンの僕は
B面であります。)
 佐藤正午さんの「まえがき」の書き出しです。
「競輪ファンである前に、僕はひとりの作家である。
 作家として文章を書く仕事がいの一番にあり、それから、横並びのその他の中に競輪
ファンとしての僕の顔がある。細かいことを言うようだが、この順番はしっかり押えて
先へ進んだほうがいいと思う。」
 この順番をしっかり押えるというのは、ギャンブルにおぼれないための自戒であるの
でしょう。
「来る日も来る日も競輪場で血まなこになっていた日々が僕にもある。すってもすっても
競輪場に通いつめて、実際に仕事なんかうっちゃって、一冊の本も読まずに過ごした年月
がある。足りなくなると金は人に借りた。借りた金は競輪場に吸い取られ、また人に借り
た。・・・・・そんな生活がいつまでもどこまでも果てしなく続けられるような気さえ
した。
 でもそれがそうではないことは、そんな危うい生活が永遠に続くわけのないことは判り
きっている。行きどまりまで行ってさらに壁を乗り越えて、ある日街から姿を消してしま
うか、それとも、僕みたいに途中で引き返すかのどちらかしかない。」
 佐藤正午さんは、途中で引き返したのですが、次のように自問するのでありました。
「ギャンブルをとことんやる、とことんやり続ける人間を羨ましいと一度も思ったことが
ないか。行きどまりまで突き進んだ人間には勇気があり、尻尾を巻いて引き返した自分は
ただの臆病者だと思ったことはないか。だいいち、ギャンブルで人生をだいなしにして
しまったと彼らを非難する資格がおまえにあるのか。・・」
 「side B」に収録の文章は、ほとんどが「月刊競輪」とか「月刊プロスポーツ」と
いった専門誌に寄稿したもので、読者となるのは、普通の競輪ファンでありますから、
話題は競輪に限られ、ほとんど文学の話題にはなりません。この本のどこを見ても
能島廉さんの「競輪必勝法」に言及しているところはないようです。