今年の文化功労者 3

 本日も中野三敏さんが書いた岩波「図書」連載の「和本教室」を話題にすることに
いたします。連載最終回となった11月号のタイトルは「和本リテラシーの回復を
願って」となっています。
 「和本リテラシー」というのは、この場合「変体がなと草書体漢字、いわゆる『くずし
字』の読解能力をいう」とあります。昨日の引用に」我国の大人で、明治四年の福沢の
学問のすすめ』を活字本に頼らずに読める人が、0.00004%という現状」とあるのは、
次の数字によっているものです。
「平成の現時点では語学・文学・歴史の分野で江戸以前を専攻する研究者およびその卵
を基礎として、おそらく三千人、その他多く見積もっても五千人には届くまい。総人口
の0.00004%ということになる。」
 明治時代には、字が読めるということは、「変体がなと草書体漢字」は当然に読める
ということです。この百年あまりで日本人が失った能力で一番にあげられるのは、この
「和本リテラシー」であるというのが、中野さんの主張です。
  和本を読めなくても重要なもののほとんどは活字化されているから問題ないという
声が聞こえてきそうですが、過去から家に伝わっている古文書など、まずは活字になり
ませんからして、読むことができなければ、たきつけになったとしても不思議ではあり
ません。
「 明治以来、我国の学知のほとんどが西欧のそれをベースとして発展してきた限り、
ベーシック言語として西欧言語に習熟することこそが知識人の務めとすることの意義は、
その限りにおいてよくわかるが、翻って考えれば、まさにそれこそが近代主義を育んだ
主因であり、・・
 現代の文化を成熟させるには、何はともあれ過去を現在から連続的に振り返る術を
持たねばならぬ。しかるに現在の日本の知識人の大半は、その術をいとも簡単にふり
捨てて、しかもそのことの重要さにほとんど気がついていないのではないか。」
 この文章を見たときに、文化功労者の式典に、中野さんはどのような服装でいかれた
のかが気になりましたです。これを見たら、紋付き羽織袴以外に考えられないのであり
ますが、その時の写真などを見るにいたってはおりません。