新聞書評欄 5

 新聞書評欄といいながら、ほとんど矢内原伊作ジャコメッティについての話しと
なっています。矢内原伊作さんといえば、ジャコメッティでありますが、矢内原さんに
ついてといえば、宇佐見英治さんがいろいろと書いておりました。
 宇佐見英治さんは、「見る人 : ジャコメッティと矢内原」(みすず書房)という単行
本をだしていますが、これはあちこちで発表されていたものを一冊にまとめたもので
ありましょう。
 宇佐見さんの年譜(「明るさの神秘」所収)には、次のようにあります。
「 1960年 昭和35年 1月3日渡欧。1年パリを中心に滞在する。・・・
パリでは彫刻家アルベルト・ジャコメッティの知遇を得、私はモデルをしたわけでも
ないのに日を追うにつれ家族同様に親しく交わった。8月矢内原伊作がモデルとして
ジャコメッティに招かれ来仏した。彼は到着の翌日休んだだけで、毎夜11時すぎまで
ポーズを続けた。パリの矢内原、ジャコメッティとともにいる時の矢内原は、私の眼に
は東京にいるときの彼と違い、終始真剣で、挙措動作の隅々にまで緊張感がみなぎり、
友人の私にも畏敬の念をおぼえさせた。それほどモデルの仕事は緊張を要したので
あろう。9月末矢内原は帰国した。
 12月毎年スイスの故郷に帰るジャコメッティに招かれ、グリゾン州スタンパを訪ね
た、スタンパはサン・モーリッツからマロヤの峠を下った谷間の小村である。十二月
十五日到着。道の向い側の従姉がやっているペンションに宿泊し、食事は
ジャコメッティの家でとった。三泊四日をすごした。ジャコメッティは私のために
ミラノからパリまで個室寝台車の切符をとってくれ、さらに当日は夫妻ともども
ハイヤーで谷を下り、コモの湖畔を散策、ミラノ行列車の始発駅まで私を送ってくれた。
車中で私は夫妻の温情を思い、涙を抑えきれなかった。このままパリに寄らず日本に
飛んで帰りたいと思った。」 
 宇佐見さんがジャコメッティのモデルをつとめる矢内原さんを見るのは、60年8月が
初めてのことですから、モデルとなって4年が経過しているのですが、「それでも終始
真剣で、緊張感がみなぎり、畏敬の念をおぼえさせた」とあるのですから、芸術を生み
出す場の静かなエネルギーを感じることです。