今年も山猫忌7

 長谷川四郎さんの「山猫通信」(青土社 79年刊)は、78年から79年に書き綴られ
たものですが、最初のころは、四郎さんがペンをとっていたのですが、後半は口述筆記
になっていたと、編集者 福島紀幸さんの解説にありました。
 この連載の後半になってから、「そうだった、山猫通信としよう」とタイトルをつけ
た裏話がでてきます。青土社の社長さんであった「清水康」さんから、「ユリイカ
への10枚くらいの連載を依頼されてタイトルは、「なになに通信とするのがいいと
思うが、そのなになにはそっちがきめてくれ」といってから、読売新聞に「フランスの
どこかの町の工場で『山猫スト』があったと見て、「山猫通信」としたそうです。
 連載のタイトルは決まったのですが、どのように書いていくのは、まだきまっていな
くて、それで、最初は「山猫」は登場することがなくて、文中は「私」となっているの
でありました。
 連載2回目最終のところで、なんの前触れもなく「山猫」が登場し、「狼」と
あって、「不思議の国のアリス」を話題にするのでした。このへんはいかにもシュール
であります。
 連載3回目は、「ルイスとアリス」というタイトルで、「こないだ紀伊国屋へいった
ら、そこにアリスが来ていて、あたし絵のない本なんか、きらい、といっていた。」と
またまたわけのわからない書き出しとなります。この書き出しから、まもなく「ぶちあ
けたところ私はその日」(「山猫通信」P25)とあるのを最後のようにして、私は登場
せず、その場所には「山猫」と置き換わるのでした。
「 ところで山猫のもっている『アリス』の英語本といえば岩崎民平先生が訳注をほど
こして、おもしろいまえがきとあとがきをそなえている本」
ここの「山猫」は、「私」以外のなにものでもなしです。
 本にするにあたっては、このような「私」と「山猫」の混在については、チェックの
対象となったでしょうが、これは文学作品であって、論文ではありませんから、これを
揃えるというのは、最重要課題ではなかったのでしょう。
 長谷川四郎さんは「なになに通信」という本を、ずっと前からまとめたいと思って
いたのでありましょうね。この「山猫通信」からちょうど20年前の本にそれに関した
文章がありました。

「随筆 丹下左膳」(みすず書房 59年刊)の序には、次のようにあります。
「この本は今まで折にふれて書いた随筆・書評・報告・童話の類をよせあつめたもの
である。排列は時間の順序に従っていない。書かれた時期のわからないものが多い
からでもあるが、また、すべては同時にわたしの中に存在しているようにも思われる
からである。・・・・
 ところで、全体の書名である。わたしは害虫を食餌とする批評家ではないし、まだ
白頭翁でもないが、いまだ田舎ものではある。よって中の一篇をとり、『新椋鳥通信』
としようと思ったが、<新>ときいて地下の観潮楼主人が冷笑するかもしれぬし、
椋鳥の椋の字は当用漢字にない。・・・」
 出版社の営業としては、「随筆丹下左膳」のほうがよかったのかもしれません。
 かってでていた「みすずぶっくす」というのは珍しいので、裏表紙の書影を
以下に掲げることといたしましょう。