「山猫忌」 5

 堀江敏幸さんによる長谷川四郎さんについての評を見ましたら、四郎さんの本を手
にしようという気が失せるかもしれません。四郎さんの文章は、読みやすくて、読む
とわかったような気になるすぐれものです。堀江さんにいわせると、読みやすさに惑わ
されるなとなるのかもしれませんが、やはり四郎さんの文章を読むのが一番です。
 一番入手が容易なのは、ちくまからでています文庫サイズの選集でしょうから、まず
はこれを手にしてみることをおすすめです。

長谷川四郎 (ちくま日本文学全集)

長谷川四郎 (ちくま日本文学全集)

 当方が、ここ数日手にしているのは「山猫通信」ですが、これは生前最後の著書と
なったものとなります。すでに身体は不自由になっていたのですが、奥様への口述と
なった文章は、とってもポップで若々しいのです。初期のシベリアものと同じ作家の
文章とは思えないことであります。
「いつだったかだいぶ前に野うさぎの穴の中へ入っていったアリスのことを山猫は書き
かけてそれっきりになっているが、これにはそれだけのわけがある。カフカが割り込ん
できたからだ。それに万里の長城というのもある。カフカのスケッチしたのは野うさぎ
の住家で、それは万里の長城のすぐ下にあった、そこに住んでる野うさぎをアイモで隠
しどりして夜の白い壁に映してみると、野うさぎがしょっちゅうびくびくおどおどして
いるのがよく見える。万里の長城の遊歩道を空気銃ぶらさげた少年が歩きまわり、これ
がいつ野うさぎ狩りの猟師に早替りするかわかったもんじゃない。だから今では野うさ
ぎは考えを変えて、洪水といっしょにノアが来て、お尻をひっぱたいて、わしを箱船に
乗せてくれんかなあと思っとるというもっぱらの評判だ。
 うそかほんとか知らないが。」
 まったくもって人をくった文章であります。
山猫通信

山猫通信