国語の教科書23

3年生の教科書の最後におかれているのは、臼井吉見の「三つの本 卒業してゆく
諸君へ」という文章ですが、「三つの本」というのは、次のものです。
 青柳瑞穂  「ささやかな日本発掘」
 佐藤藤三郎 「25歳になりました」
 増田小夜  「芸者」

 この著者のうち、佐藤藤三郎さんは、その昔に無着成恭さん教師がつとめた
「山びこ学校」の卒業生で、その後無着先生は、東京へとでてタレント教師のはしり
のような存在になったのですが、佐藤藤三郎さんは、いまにいたるまで、同じ土地に
住んで農業をやるかたわら文章を発表しています。地に足がついた思考ということで
は、これ以上の方はいないのかもしれません。
http://mainichi.jp/sp/nou-shoku/crisis/news/20090525org00m100999000c.html
 
 臼井吉見さんは、佐藤藤三郎さんの今日在るのを、今から50年程前に言っておられ
ます。「三つの本」から、佐藤藤三郎さんについてのところを引用です。
「 ぼくは『山びこ学校』が世間で評判になる前に、あの学校へでかけて行き、宿直室
で、中学を卒業したばかりの佐藤君とも一晩語り明かしたことがあります。その佐藤君
が、ぼくが期待したよりもっと早く、もっと確実に、無着先生の直接の影響から抜け
て、自主独立の人間としての条件を獲得した報告書ともみるべきこの本を読み、感銘を
受けました。
 本の内容は、佐藤君だ中学をでて、上山の農業高校の定時制に進み、そこで四年間
と、専攻科の一年間と、在学五年間に書いた詩、評論、研究、調査、記録をまとめた
ものです。
その中で、無着先生によって、社会に対する目はある程度聞かせてもらったが、自分
自身に対する目は開かせてもらえなかったくやしさが書かれているのです。いい気に
なって青年団の指導者としてふるまったりしたが、気がついてみると、自分の空虚さ
に堪えられなくなったというのです。・・・
 農村は、今後あらゆる面で改革が行われなければならず、また行われるにちがいな
い。だが、農民が表現力を身につけないかぎり、永久に卑屈感から抜け出すことは
できない。
・・
 表現力の問題は、あるいは一学校だけの、農民だけの問題にとどまるものではあり
ません。独立する人間の根本にかかわるものと言っていいでしょう。日本人全体の
問題でもあります。」
 佐藤藤三郎さんの存在は、「日本の将来に少なからぬ明るさを加えたといっても
過言ではないと思います。」と、臼井さんは書くのですが、佐藤さんが現在直面し
ている現実は、とっても明るいものではありません。