本をつくる人2


 写真は「明るさの神秘」であります。
右は一般書としてでたみすず書房版(97年9月刊)で、左のものがこれの元版に
あたる「小平林檎園」版(96年9月刊)となります。林檎園のご主人が「宇佐見
英治」さんの本を出すにいたった経緯は、宇佐見さんのあとがきに記されています。
「 1988年5月、池袋の西武美術館でタゴールの大絵画展が開かれた。初日の午後、
会場の入口近くで傍を歩いていた人から、失礼ですが宇佐見先生ではありませんか、
と声をかけられた。
そうですと答えて足をとめると、その人は自分は小平・・といって、先生の本の読者
ですが、新聞の写真などからそうではないかと思って声をかけましたといい添えた。
それから小平氏岩手県水沢市で林檎園をやっていること、タゴールの展覧会をみる
ために、今朝水沢を発って、いまここにいること等を語った。小平氏は四十歳前後、
中背で、屈強に見えた。・・これが本書の発行人小平・・氏との最初の出会いである。
 その年の十月、水沢のその林檎園からジョナ・ゴールドが送られてきた。
太陽と雲、疾風と大気のやわらかさ、星の夢と大地、それが果汁となって私の体内を、
対外をうるおす。なんというさわやかな芬り。
 1992年8月、私は小平林檎園を訪れた。奥さんの運転するワゴン車に同乗して、
多年念願の種山ヶ原に登り、五輪峠に立った。 
 その頃から夫妻の手で私の著書を発行したいという話が持ち上り、それが漸く本書
となって実現した。
 この書は発行所が出版社でないので、どんな本になるのか多少心配であったが、
友人たちのおかげで立派な本になりそうだ。
 私の著書をこのようなかたちで出版することを企図された小平夫妻に衷心無尽の
謝意を申し述べる林檎園から自分の本がでるなんて、老年の今日までどうして私に
想像できたろう。
 数日雨がつづいた。今日は青い空が林檎畑の上にひろがっていることだろう。
この秋も紅玉や、私の好きなジョナ・ゴールドがゆたかに稔らんことを。」