晶文社図書目録5

 晶文社の代表であった中村勝哉さんは、「中学以来、小説ばかり読んできたくらい
だから、もともと文学にかかわる仕事につきたかった。小野という編集者としての
非凡な才能と出会うとともに、音楽会と模擬試験という投機的事業に成功したこの
ころ、文学+博打=出版という公式を勝手に考えだすようになったものと思われる。」
と書いています。
 中村勝哉さんの「晶文社 創業のころ」という文章は、小野二郎さんの追悼集に
寄稿されたものでありますが、中村勝哉さんの書いたものは、ほかにないのであり
ましょうか。なんとなく探せば出てきそうにも思いますが、あちこちをみても、
この文章くらいしか引用されているものがないということは、中村勝哉さんは、
このほかに文章を発表することがなくおわってしまったのでしょうか。
 あちこちのブログにて引用されているのですが、これしかないとなると重ねての
引用もやむなしでしょうか。
「 会社設立が間近になったころ、文芸書の質の維持と経営の安定を両立させるため
に、まったく異質の文芸書と学習参考書の二本立てでいったらどうかと、小野におず
おずもちかけた。もちろん学参の企画は私がやるということである。意外にも、小野は
即座に了解した。倒産寸前の会社で二年間、辛酸をなめたせいであろう。
 会社設立の当日になっても社名がきまらなかった。そのときたまたま、学増の事務
所に居合わせた吉田凞生に応援を頼んだ。固有名詞とイデオロギー的用語を使わない
ことを条件にした。いろいろな案がとびでてきたが、これはという社名は電話帳で
調べてみたらすでにあったりして、やはりなかなか決まらない。そのうちにでてきた
のが晶文社である。私や小野のイメージからすれば美しすぎる社名であった。・・
 新興出版社が大取次に口座を開くのは容易でないと聞いて、晶文社の処女出版は
東京都の『高校受験案内』とすることにした。もし口座が開けない場合でも、読者が
都内の中学三年生及びその父兄・先生であるから、学増(学力増進会)の講習会で
父兄と接して、それまでの入学案内をまとめただけの『学校案内』ではなく、学校の
具体的な特色や合格の基準のついた『受験案内』の需要について確信をもっていた
からである。」
 これが晶文社の打ち出の小槌であります。何十年も売れ残る出版物をだせるという
背景には、それを支える仕掛けがありました。
講談社文芸文庫も文芸出版も、すべてコミックや雑誌があげる利益の上になりたって
いるのでありまして、そういうしかけを持たない出版社は、どこも苦しいのであり
ます。

首都圏高校受験案内〈2010年度用〉

首都圏高校受験案内〈2010年度用〉