晶文社図書目録4

 晶文社の創業は昭和36年4月となりますが、そのときの挨拶文が小野二郎さんの
追悼文集「大きな顔」に掲載されています。
「 私どもは、このたび晶文社という名のささやかな書肆を開きました。俗にいう
山椒は小粒でもピリリと辛いの意気です。 
 もっとも尖端的で、同時にもっとも伝統的なもの、要するに語の根源的な意味での
ラジカルな出版物をだしたいというのが私どもの願いです。
 寺田透 作家論集 理智と情念
 大岡信 抒情の批判
の二著をもって創業の仕事とし、さらに島尾敏雄作品集 全四巻が進行中であり、
ほか文芸、思想、社会、科学等にわたる多面的な企画を鋭意準備中です。」
このあいさつ文書は、中村勝哉さん名義によるものです。中村勝哉さんの文章の
なかにありますので、このあいさつは、中村さんによるのでしょう。
(中村さんが、自分の名義となっているが小野が書いたと、この文章の直前で
記していました。)
 大岡信さんは、小野二郎さんが同世代のなかでもっとも高く評価していた文学者だ
そうです。この本がでた頃のことを、大岡さんは、次のように書いています。
「 年齢といえば、私は迂闊なことに、小野二郎、そしてまた晶文社中村勝哉
ご両人を、私より年下だとばかり思っていたのだった。二人ともたまたま大学での
学年が私より一期下だったという、ただそれだけのことで年下だと思っていたのだ
から世話はないが、そのことを晶文社刊行の『抒情の批判』のあとがきでも平然と
書いている。
『この本は、中村勝哉小野二郎両氏の手で世に送り出される。両氏ともにぼくより
若いし、晶文社も生まれたばかりだ。・・・ぼくとしては本書が新進の出版人、
中村氏と晶文社の出発にとって、さい先のよいものであってほしいと願うばかりで
ある。』
『抒情の批判』は、その中に収録した『保田與重郎ノート』を読んだ三島由紀夫氏が、
新聞や雑誌で絶賛に近いほめ方を繰り返してくれたために、私にとっては驚き、
晶文社にとっては予想外の売れ行きをもたらした。」
(年齢と学年のことをいえば、むかしは四終なんてことがあって、旧制中学から
高校へと進学するに、5年のところを4年で受験して合格したりする人がいた
からでありましょうね。もちろん、大岡信さんが、そのようなコースをたどった
ということでしょう。)
 この本は、70年代の初めに京都の小さな古本屋で手にしたことがありました。
あまり整理のよくない店で、その日はご主人が不在で、奥さんが留守番をしていると
いう感じでした。晶文社の初期の一冊を見つけたので、これは買わなくてはと確認を
しましたら、これには値がついていませんでした。留守番のかたに、これはいくら
でしょうかと尋ねましたところ、当方がすこし入れ込み気味であったのか、すっかり
警戒されてしまって、これはいま販売することはできませんと、あっさり断られて
しまいました。それいらい、このほんとは縁がないことで、それからは、どんなに
掘り出しを見つけても平静でいなくてはいけないという教訓になったのでした。
 いまほど日本の古本屋でみましたら、うんと安価ででていまして、もっと高く
ともいいのではないかと思った次第です。