疎開小説13

 昨日の小林信彦さんの引用には「第1期疎開は3月10日に終わったのですが」と
ありました。どうして3月10日かということは、わからないのであります。これに
ついての答えは「東京少年」のなかにありました。
「終了疎開児童の東京引揚計画が発表されたのは、ビスケット伝達式の翌日だった。
輸送期間は2月21日から3月10日までである。
 やや遅れて、この情報を入手したぼくたちは狂気した。どんなに遅くても、3月
10日(そういえば、この日は陸軍記念日だ)には東京に戻れるのだ。」
 終了児童というのは、国民学校6年生に限ってのことですね。ちょうど小林信彦
さんが疎開したのは6年生でしたので、3月には卒業となり、それと同時に東京に
引揚げるということになるのです。
 この3月10日というのは、東京大空襲があった日です。2月21日から引揚げが
始まって早くに東京に戻った6年生の中には「焼夷弾の直撃を受けて即死した」人も
あったということです。
 3月10日は大空襲というのとは結びつくようになっていますが、この日が陸軍
記念日というのは知りませんでした。陸軍記念日であるからこそ、大掛かりな爆撃を
されたのかも知れません。
 結局のところ引揚計画は宙に浮いた形となり、自然解散で引き取り人がくれば、
いつでも自由に帰れるようになっていたのだそうです。小林信彦さんのところは、
なかなか家族が迎えにくることができなかったがために「トランプで自分だけが
あがれないようで淋しかった」となるのですね。
 国民学校を卒業して、小林さんは中学校に進学をするのですが、「時局柄、
無試験」で入学が決まったとあります。旧制中学進学のために、疎開地でも受験
勉強をしていたのですが、この年にあっては、試験を実施するどころでなかった
ということです。
 中学校への入学は決まったものの、戦火をさけるために、新潟 高田市の親戚に
縁故疎開して高田の中学校に通うというのが「東京少年」の第二部となります。