理解が深まることで

 2月も半ばになってきて、日差しは強くなり、最低気温もあがってきています。

 本日は朝の除雪からスタートしたのですが、日中はプラス気温になったせいで、

降った雪はずいぶんと溶けましたです。

 先日に買った小林信彦さんの「日本橋に生まれて」をすこしずつ読んでいるの

ですが、たまたま開いたページに、次のような記述がありまして、これが先月に

入手した本と話題がかぶるのでありました。

 まずは小林信彦さんの書くところからです。

「郊外のデパートの中の本屋というと、あまりパッとしないイメージになるが、

ここはそうではない。月に一度ぐらい、娘が連れて行ってくれる。私は車椅子使

用者だから、仕方がないか。

 そこで、『村山新治、上野発五時三五分』という厚い本を買った。新宿書房

いうところから出た本で、<私が関わった映画、その時代>という副題が付いて

いる。ま、趣味の映画本という言っていいと思う。安くはないが、買う方も物好

きなのだ。」

 郊外デパートの本屋というのは、どこでありましょう。小林さんは西東京にお

住まいでありますから、すぐに思い浮かぶのは二子玉川にあるデパートでありま

すが、そこであるのかどうかはわかっておりません。

 問題は買った場所ではなくて、この本の内容と版元でありました。新宿書房

ありますので、この本については村山恒夫さんの「新宿書房往来記」のなかでも

言及されているのでありました。

 「映画四兄弟」という文章が、それで小林信彦さんが購入した本を作った時の

ことを、このように書いています。

「ときどき、夢中になって本を作ることがある。いや、いつでも熱中して本を作っ

ているが、どうしても力が入ってしまう本がマレにある。

 村山新治という映画監督をご存知だろうか。新作の二本の映画が一週間おきに

町の映画館にかかっていた。昭和戦後の映画黄金期。それこそ二十日ぐらいの期

間で製作された『プログラムピクチャー』。」

 このあとには、村山恒夫さんによって村山新治さんの本がまとまるにいたった

経緯が書かれているのですが、村山さんの叔父にあたる信治さんと、その方の仕

事を残すために尽力された村山さんのご兄弟や従兄弟さんなど映像関係者たちの

ことに触れられています。

 よほどの人でなくては、到底手がのびないという種類の本でありますが、これ

小林信彦さんの目がとまったというのはさすがでありますね。

 小林さんが、この本を読んでの肝は次のようなところにあるのだそうです。

「私など、研究誌を買っていた人間からすると、村山新治という新人が東映に現れ

た・・・というので、ずっと読んでいたら、いつかテレビの方に行ってしまって

いたがそのいきさつはこの本を読まないとよく分からない。日本映画がこんとん

としていたころの話で、 」

 それにしても、村山さんが作った本が、一番届いてほしい人にちゃんと届いた

ということがわかることで、小林信彦さんの言及に喜んだことでありましょう。