蒙古民族統一運動

 岩波書店「図書」8月号に掲載の「三人の自然科学者の思い出」徳丸吉彦さんの文
章を目にして、昨日は「トゥバ紀行」を手にしておりました。先月に新刊となった
岩波新書の「ノモンハン戦争」田中克彦さんの関係で、なにか使える話題はないかと、
田中克彦さんのモンゴル関係のものを近くにまとめておりました。
 ・ 草原の革命家たち     中公新書
 ・ モンゴルの歴史と文化   岩波文庫
 ・ トゥバ紀行        岩波文庫 
 ・ ノモンハン戦争      岩波新書
 
 これに加えて、小生がひいきとする長谷川四郎さんの「シベリア再発見」三省堂新書
であります。この本は、68年(昭和43年)にでていますが、小生が購入したのは、
その数年後でありましょう。小生が田中克彦さんの「草原の革命家」(73年昭和48年)
の前ですが、この長谷川さんの本によって「ブリャート自治社会主義共和国」という
存在を知りました。
 まずは「シベリア再発見」からの引用です。

「 ブリャート共和国を南下して行くと、ステップまたステップで、このステップが
モンゴル共和国のキャフタやウランーバートルへと通じている。さらに南下すると、
中国の内モンゴル自治区、また東は満州内の蒙古へと通じている。すべてこれステップ
において一つであって、蒙古民族統一運動というのはとっくに影をひそめたが、しかし
あらゆる蒙古民族の中に今もって底流しているように思われる。」
「ブリャート人はみたところの日本人ににているが、口を開くと、そこからでてくる
のは蒙古語か、それともロシア語で、二カ国語常用者だが、人種学的に、また言語学
的に、モンゴリヤが彼らの故郷である。
『あなたたちは南方の蒙古人と自由に話ができますか。』私は詩人たちにきいた。
『どうして? どうしてできないことがあるか。』彼らは答えた。」

「1939年のブリャート協和国の全人口は542,170で、そのうちブリャート人は18万
だったが、それよりさらに13年以前にさかのぼる1926年にはブリャート人は237,000人
となっている。これで見ると13年間に57,000人も減少したことになる。これはステップ
には本来、国境がなくて、遊牧者は一定の家畜をもっていると、それに依存して、
かなり自給自足の生活ができるから、政治上の国境におかまいなく、つねに流動しうる
ためではないかと、私は想像する。
 スターリンの粛清はブリャート共和国にも及んで、1937年には、共和国議長だった
ブリャート人イエルバーノフが54名の仲間たちとともに処刑されている。その後の
議長には、ソビエトの官僚がすわり、コルホーズ化、工業化がすすめられ、また錫や
タングステンの開発が行われた。」