回想のイタリア旅行2

 林達夫さんは、ほとんどプライベートなことについて書くことがなかった人です。
もともと生活のために文章を発表したりすることがなかったので、私的な領域に
ついてのことは、書く必要もなく、したがって奥様の人となりについても、横浜の
貿易商の娘さんで、奥様の姉妹は「和辻哲郎」「矢代幸雄」に嫁いでいるということが
つたわってきているのみです。
 「父と息子との対話」をみると息子さんが二人いることがわかり(長男は、中国古代史の
学者さんだが、「回想のイタリア旅行」に資料を提供している息子さんは、何をして
いるのでしょうか。)あと、妹さんが戦前の共産党活動家で、若くして亡くなったという
ことを拙ブログで引用をしたことがありますが、ゴシップ好きな小生を喜ばせるような
記述はほとんどみあたらないことです。
林達夫さんには「自己を語らなかったおう外」という文章があるのですが、林達夫さんも
また戦略として個人的なことについては、ほとんど表にださないようにしたものと
思われます。
 それだけに、奥様とともにいったイタリア旅行のレポートからは、封印している林さんの
素顔のようなものが見えて、大変興味深いのであります。
 田之倉稔さんの報告では次のようになります。

「 林さんはホテルの部屋に入るなり、買ってきた本をベッドにポーンと投げた。無言の
ままである。これは最大の怒りの表現であったようである。・・やや離れた地点から
本を放り投げるという行為が、いかなることを意味したのか、奥さんにはとっさに理解
できたらしい。夫婦であれば、相互のしぐさがいかなるコノテーションをもつかはすぐに
わかるというもの。部屋には険悪な気配が漂った。それはわれわれの介在をゆるさない
ほどのものであった。それはひそかに、けっして他人の目にはふれることなく林夫妻の
間をながれてきた時間であった。」

「 われわれ一行を運ぶ私の運転した車の中は、しばしば学校の趣を呈して。林さんが
教師で、われわれが生徒であったことはいうまでもない。林夫人がときどき反論する、
登校拒否的性格をもつ生徒であった。授業中の弛緩しかけた時間が林夫人の言葉によって
緊張を取り戻すことがあって、これが車=教室の機能をさらに高めた。」

 うーむ、これは相当に難しいパートナーでありまする。