流れのほとり

 池澤夏樹さんは、「くまの子ウーフ」で知られる神沢利子さんの長編
「流れのほとり」を高く評価しています。先日に紹介した「寄港地一覧」にも
リストアップされているのですが、この本のことは、「読書癖1」でも
取り上げていましたです。

「 本との出会いもつくづく運だと思うのだが、見当違いな理由からすごい
本に出会うことがある。先日、必要があって樺太のことを調べている時に、
神沢利子さんの『流れのほとり』という本がいいですよと教えてくれた人が
いた。神沢さんは世間の分類に従えば児童文学者、子供時代を樺太で過ごした
人で、そのころのメモワールがこの本だとのこと。・・・
 児童文学というのは、子供でもわかるように程度を落とした文学ではない。
子供にしかできないものの考え方感じ方をストリー展開の真ん中に据えて、
それによって見える世界を書く。それにしてもこの世界のなんと新鮮で、
人々の像がくっきりとして、日射しは熱く、影はひんやりとしていることか。
内地には決してなかった風景と心象といってしまってはいけないかもしれないが、
やはりこれは北の国のものだと思う。」
 内地というのは、日本国内のことを指すのでありますが、もちろんそれと
対になることばは外地でありまして、この外地とはかっての植民地とか
満州樺太を指すのであります。小生がこどものころの北海道では、本州の
ことをさして内地といい、いまでも北海道の80代の人は、本州のことを
内地とよんでいるのではないでしょうか。
 大戦後の北海道には外地からの引き揚げてきたひとがたくさん住んで
いまして、樺太の製紙工場からとか、満州の開拓から集団で引き揚げて
きて、また北海道で開拓地にはいった人たちが身近にいたのでした。
「 流れのほとり」文庫版へのあとがきに、神沢さんは次のように
書いています。
「童話を十年あまり書いてきて五十代にさしかかったわたしが、次の
一歩を踏み出すために、自分の源をさぐり確かめるべく筆をとったものです。
今後読み返して、当時の日本の辺境の地、樺太が、わたしの首根っこに
のっぴきならぬものとして在ることを、あらためて思い知りました。
今でも折りにふれて思うことは、もし樺太で育っていなかったら、
自分の作品はよくもわるくも、まったく違った異なるものになって
いただろうということでした。
 このあとがきには、「わたしはこの本に記すように『内川』という
小さな部落で、『内川』という川のほとりで育ちました。・・・
『内川』の名は、ポロナイ川のなかに、まるで母の懐にだかれるみどりご
ように、いだかれているではありませんが。漢字にすればポロナイ川は
『幌内川』です。どちらにしても同じことです。」
 幌内という地名や、幌内川という名の川は、北海道のいたるところにあり
ますが、これは樺太での呼び名と同じでありまして、このへんからも北海道は
外地といわれるのでありましょうか。