高杉一郎さん追悼3

 昨日のブログに高杉一郎さんの編集者時代の文書を読んでみたいものと
記しましたが、これはすでにまとめられていて、小生の書架にもならんで
いるのでした。そういった本がでていて、購入したことも忘れているという
のがなさけないことです。
 高杉一郎さんの雑文集は、これだけであるようです。

 「ザメンホフの家族たち」 田端書店 81年7月刊 
 この本のあとがきには、次のようにあります。

「 49年の秋、シベリアから復員して以来、いろいろな新聞雑誌のもとめで
書いた短い文章が、かなりな分量に達した。戦争の時代を通り抜けてきた私
たちの世代は、つねにどう生きるかという問題から頭が離れないので、私の
書く文章はどれも地味にくすんでいることを、私は自分でもよく承知している。
 ・・・
 この本に収録した文章の配列は、それを書いた順序ではなく、おおよそ、
そのなかに書かれている時期の順序になっている。」

 この本は、以下の6章からなりたっています。それぞれの章に、次のような
高杉さんのコメントがついています。

 1 戦争まで
 34年の4月から44年の7月まで、改造社の編集部員として働いた。その
十年間は、いわば私の大学であった。そこで私は、たくさんの作家と批評家たち
と知り合って、多くのことを教えられたし、またたえず検閲制度を意識して仕事を
進めなければならなかった関係から、権力と自由と文化のかかわりについても
かんがえさせられることが多かった。」
 
 2 シベリア
 44年の8月から44年7月までの5年間、私はみずからの意志をもたない
『いけにえ』として、ひとつの国家権力からもうひとつの国家権力からもう
一つの国家権力へとたらいまわしされることになった。」 

 3 ひとつの戦後
 49年9月、私は5年ぶりに祖国の土を踏んだ。密林のなかで狩人から銃弾を
ぶちこまれたものだけは、必ず同じ場所にふたたび姿を現すものだというが、
私はつらい俘虜生活を送ったソ連を、こんどはみずからの意志で幾度となく
訪れることになった。自分にもよくわからない、なんともふしぎな感情である。

 4 ザメンホフの家族たち
 5 道づれたち
 戦争と二つの国家権力のあいだを抜けてきた小さな人間のうめきや
つぶやきであり、それでもなお性懲りもなく未来に寄せる願いである。

 6 創作

 冒頭におかれた「戦争までー文芸編集者として」のなかには、改造社の最後に
ついてがかかれているので、それを引用しておきましょう。
「 軍報道部や情報局におん覚えのよくなかった改造社は、『生きのびるために』
そのころに『指導的な』評論家であった斉藤忠、大串兎代夫、難波田春夫の三人を
編集顧問にえらび、毎月一回、『旧体制的な自由主義思想』に毒されている私たち
編集部員を再教育することになった。編集者にとってこれほどひどい侮辱はなかった
けれども、私たちは誰ひとりこれに抗議しなかったばかりでなく、みずからも仮面を
合理化することのできそうなもっともらしい理論には、よろこんでとびついていった。
『文芸』はペラペラな形にやせほそり、そのどのページにも文芸のブの字も見いだせ
ない惨めな文芸雑誌になっていった。
 しかも、そんなにまで悪あがきをした結果として、私たちがむくいられたものは、
結局、昭和19年7月の東条内閣による改造社および中央公論社の解散命令でしか
なかった。そして、私はそのあとすぐ戦争にひっぱりだされた。」