旅の宿から2

 家人の興味のある店の近くに古書店があったり、趣味の良い本屋があると
街歩きが楽しくなります。お互いに幸せな時間をすごすことができます。
こどもたちにいわせると、このように本を買い続けることに理解ある人は
いないよとなるのですが、あちこちに本がはいった段ボール箱がつまれて
いて、さすがに居間に段ボール箱はないでしょうといわれるのでした。
 本日たちよった本屋の近くには、古いお菓子やさんがあって、そこで
売っている缶入りクッキーの注文をしてきました。いま注文すると一ヶ月後に
入手することができます。注文をしてから粉をひくというわけでは、当然なくて、
注文が生産においつかないだけの話です。この店は、外から見ると店のなかが
いつも暗くて、やっているのかいないのかわからず、慣れなくてはけっこう
入りにくいものです。
 この界隈の店は、どこもこだわりをもっていて、個性的なご主人がそろって
います。小生が立ち寄った本屋もそうで、小ぶりながらほかの店ではみかける
ことのない本がならんでいます。本日は、ここで普通の新刊書をさがしたので
すが、それはご主人の好みでないのか、はたまた売れてしまったのかありま
せんでした。
 ここには、自由価格本となったものもならべていて、いまはなき小沢書店の
ものなどもディスカウントで入手できるのでした。小沢もなくなって、ずいぶんと
なりますので、この店の在庫もすくなくなっています。
 そうした自由価格本のなかから、本日は中央公論社現代の詩人シリーズ
飯島耕一」を定価の70%で入手です。昭和58年にでたものですが、
どうしてこれが売れないのかな。いい本であるのに。
このシリーズは、ちょっとうるさいけども、各ページにごとに鑑賞というのが
ついていて、この巻の筆者は平出隆でありました。巻末には自筆年譜があって、
これが読ませます。小生は、飯島耕一の年譜では、以下のあたりが一番すきで
あります。
 昭和28年「 この夏、『他人の空』の一連の詩を書き、十二月に書肆ユリイカ
伊達得夫という三十歳を越えたばかりの人が、社長兼編集者で、ほとんど
一人でやっていた小出版社)から自費出版した。自費出版はこの時だけで、本が
出来た時は、嬉しかった。金太中と二人で印刷屋に受け取りに行き、祝盃を
あげた。二百五十部、費用は作曲家の三木稔(六高で、一級下)が、シンフォニーで
尾高賞をとり、その賞金の一部をまわしてくれたのだった。」
 昭和34年「5月長男洋一が生まれる。」
 建築についての評論をしている飯沢洋一さんというのは、詩人の息子である
ことは知っていたが、この本がでた昭和58年には、まだ世間に知られては
いなかったか。