おつきあいでとっている新聞(日経)には、瀬戸内寂聴の「奇縁まんだら」という
連載があります。瀬戸内さんが、これまでに接した文人などをとりあげるものですが、
最近では、あまり話題になることのない先人たちが、瀬戸内さんによって生き生きと
描き出されます。ここ何回かでとりあげられたのは、里見とん、フランス文学者の
河盛好蔵などがいました。そして、先週と今週は荒畑寒村であります。
瀬戸内さんは魅力のある女性であったためか、年上の男性たちにかわいがられたので
ありましょうね。ずいぶんと、聞き難いこともずばっと直球をなげて、回答を引き出して
います。荒畑寒村さんとの回では、次のようにあります。
「料亭の二階で差し向かいの話でも、喋り方が堂々としているので、内緒じみた色っぽい
雰囲気にはならず、そのままラジオにながしたいような名調子であった。大杉栄は心を
許し合った親友であったか、フリーラブを称えだし、堀保子という妻がありながら、
女性新聞記者といsて職業婦人の先端をはしっていた神近市子を恋人にもった。更に
辻潤の妻で、二人の男の子の母の伊藤野枝との不倫を天下に公表し、フリーラブだと
見栄を切ってみせた。
『あんまり、女にだらしない点が許せなくなってしまって』
下戸の寒村氏は、ひどくきまじめで誠実なところがあるのがすぐわかった。」
「管野須賀子についても、何もかくしたりつくろったりするてんはなかった。京都荒神口の
女の下宿で、はじめて結ばれた時、『どちらが先に手をだしたんですか』と私が不躾な
質問をすると、『そりゃ、須賀子ですよ。・・・・』
生真面目な口調でにこりともせずいうので、エロチックな感じはしない。」
大杉栄、伊藤野枝は、関東大震災のときに虐殺されたのですが、神近市子とのことは
吉田喜重が映画化して、それに対して社会党の代議士であった神近さんがクレームを
つけたのが記憶に残っています。当時は、不倫、三角関係などが特に問題となる
時代背景ではなくなっていましたので、老いた神近さんがどうして、若いときの事件に
このようにこだわるのか理解ができなかったことです。
幸徳秋水、管野須賀子という人は、大逆事件で死刑となるのですが、荒畑寒村一人を
のぞいて、ほとんどが早くになってなくなっているせいもあり、ほとんど歴史の生き
証人のような存在でありました。
そうした歴史を語ることのできる人もすくなくなりましたが、今は瀬戸内さんが
精力的に語ってくれるのでありました。