永沢光雄 2

 永沢光雄さんは、つくづくと不思議な作家であると思ってしまいます。
最終学校が大阪芸大というのは、かの中島らもさんと同じでありまして、
大阪芸大というのは、壮絶な物書きを生み出すところだとすりこみがされ
そうであります。
 昨日に取り上げました「風俗の人たち」は、「クラッシュ」という聞き
なれない名前の雑誌に連載され、その版元は「コアマガジン」とありました。
この連載を依頼されるにあたってのことを、永沢さんがあとがきに書いて
います。
「 日がな一日、安酒をかっくらい来し方行く末を漠然と想いつつ自分を
持て余していた。そんなある日、私がかって努めていた出版社の先輩である
編集長から電話があった。
『 ミッちゃん、うちでなんか書いてみない。風俗レポートなんてどう』
 ありがたかった。プロの編集者として永沢に書かせたい、というより、
貧窮の身である後輩に手をさしのべてやろうという温情であることが
かっきりとわかった。」

 永沢さんは、この本のどこかで「白夜書房」にいたというようなことを
書いておりました。(えろ本の出版社と書いていたのかもしれませんが)
この「コアマガジン」の編集者も、そうなるともと白夜の人であったという
ことですね。それよりも、ネットで調べると、コアマガジンは、白夜書房
事実上の子会社とあるではないですか。
 そうか、永沢さんとか、クラッシュの編集長というのは、白夜書房
つながりであったのですか。
白夜、写真時代、末井昭トマソンというぐあいに小生のなかではつながる
のでした。伝説の雑誌「ウィークエンドスーパー」から「写真時代」という
のは、70年代の反乱の時代がおわったあとの、なんとなく力のでない世相を
エロで元気づけようとしたのでした。(エロで元気づけようなんてことを
考えたのではなく、エロにはそういう力があるということか。)
末井昭赤瀬川原平南伸坊松田哲夫という流れのなかで、永沢さんも
鍛えられたということでしょうか。
 この「風俗の人々」は単行本となったのは、筑摩書房でありまして、
あとがきには、永沢さんから松田哲夫さんへ感謝のメッセージがのって
いるのでした。