たまった新聞から

 旅行中は、新聞とニュースにまったく縁のない日々を過ごしておりました。
帰宅してから、たまった新聞に目をとおしたのですが、気持ちがはいらない
せいもあって、ほとんど記事がアンテナにかかってきません。
 この間に、音楽家・ピアニスト 羽田健太郎さんが亡くなったとありました。
その昔にアレンジャーとして活躍しておりまして、実力派といわれた
渡辺真知子さんが、NHK FMのスタジオライブの時に、私の守護神というような
言い方で紹介していたのを記憶しております。たぶん、いまから30年以上も
昔のことで、そのときは渡辺真知子さんのほうが羽田健太郎さんよりも有名で
ありました。ポップスからジャズというジャンルで活動する音楽家としては、
渋谷毅という伝説(いまでも現役なのに、それはないか)の人がいて、それに
続く存在として注目していましたが、その後の路線はずいぶんと違うものと
なりました。
 3日(日)の朝日読書欄には「1970年代記畑中純 がとりあげられて
いました。「まんだら屋の良太」というコミックは、ほとんど知るところが
ないのでありますが、これが映画となった作品は、その昔にテレビ放映があった
ときにVTRにとってみましたです。あっけらかんとした温泉地の若者の風俗を
描いた作品ですが、ほとんど無名の役者さんによるもので、あれはどなたの
作品であったのでしょう。
 山口昌男さんが札幌大学にいらしたときに、畑中純を招いてひなびた温泉で
温泉シンポジュームを開催するという案内をみたことがありまして、この
畑中さんの存在を見直したのでした。
 今回の評者は「サエキけんぞう」(パール兄弟)ですが、最後のところで
次のようにあります。
「 畑中純の原点は、つげ義春山上たつひこという、2大漫画家だったことも
吐露されている。音楽関係者にも両者の影響をあげるひとが多い。この2人が
漫画のわくを超えて、日本のサブカルチューに大きな潮流を作りだしたように
思えるのだ。」
 70年代というのは、小生の20代と重なるのですが、「光る風」という
シリアスなコミックで名前を知ることになった山上が、「がきでか」という
当時の反権力風潮にのったもので、権力を笑いとばしたのでした。