明日にはなんとか

 先日から読んでいる熊井啓さんの「私の信州物語」でありますが、まずまず

順調に読み進んでいます。一日にすこしずつでありますので、時間はかかって

いますが、明日には最後にたどりつきそうです。

 熊井さんは旧制松本中学を終えて、旧制の松本高校を受験することになります。

熊井さんは昭和5年生まれでありまして、敗戦の時は旧制中学3年生であったそう

です。

 この時代は旧制度のおしまいのほうなのですが、戦争が厳しくなっていたことも

あって、昭和20年には旧制中学の年限が4年に短縮されたことによって、5年生と

4年生が同時に卒業を迎えることになりです。急に卒業といわれてもですが、上級

学校や軍の学校への進学や中学校の実務科生ということで、以前と同じく動員で

軍需工場へと行って作業をすることになったとのことです。

 それが敗戦となって、またまた学制は変わるのですが、新制のスタートは昭和23

年ですが、熊井さんは昭和23年3月に旧制松本高校を受験し、4月からは旧松本

高校生となります。

 昭和5年から7年くらいに生まれた方は、ほんとにめまぐるしく変転する学制に翻

弄されるのですが、熊井さんのこの本を読む限りでは旧制中学から高校という、ど

ちらかというと普通の旧制度でありまして、ちょっとおもしろくなしです。これが軍の

学校などに行っていたら、戦後はまた専門学校や大学に戻ってくるということになる

のですが。

 それはともかくとして、熊井さんの旧制松本高校に入って北杜夫さんや辻邦生

さんなどが強い影響をうけた先生の教えを受けることにです。

「私ばかりでなく、松高生活がその後の実生活に結びついた人は意外に多い。松高

に限らず旧制高校は、自己の適性を発見し鍛錬する場であった。その最大の長所の

一つは、多くの良き教師たちとの出会いである。私はリルケ『マルテの手記』やゲーテ

『親和力』、トーマス・マン魔の山』の訳者・望月市恵先生から五年間ドイツ文学を

教えていただいた。北杜夫氏や辻邦生氏も、その強い影響について書かれている。」

 旧制高校へと進学できた人は、ごくごく恵まれた一部の人であるということは頭に

いれておかなくてはですが、望月市恵さんといえば「ブッテンブローグ家の人々」で、

これは北杜夫さんの「楡家の人々」につながっていきます。

「また古川久先生から能・狂言を学んだ」とあるのですが、こちらの古川先生は、辻

邦生さんの代表作の一つ「嵯峨野明月記」が捧げられていますので、ほんとに松高

の影響力はすごいです。

 熊井さんは、旧制高校は一年で廃されたことで、次年度からは新制信州大学

進むことになるのですが、それは松高の雰囲気のなかですこしでも長く学びたかった

からとあります。そういう魅力が信州にあるというのは、なんとなくわかりますですね。