リハビリ読書

 ほとんど本を読まず、新聞もあまり手に取ることのない生活が続いていま

したが、たぶんこのあたりで一区切りでありましょう。

本日はパン作りをして、手続きのためにあちこちまわってきました。徐々に

落ち着きを取り戻すはずであります。

 本日の夜になって昨日に飛行場の本屋で買ってきた森まゆみさんの新書を

手にすることにです。森さんのこれまでに取り組んできた仕事について、高校

の頃からのことを振り返りながら記しています。

 森さんは、当方よりも四学年ほど下になるようです。早稲田の政経という

人からうらやましがられる学部に進学しましたが、当時は女性ごく少数派で

就職でははっきりと差別されたとありました。

 当方などは、文弱を絵でかいたような学生で、ほとんどまともには就職でき

るわけがなしで、仕事につくことができたのは奇跡のようなことで、まわりに

女性は数人しかいなかったのですが、彼女たちはどのような仕事についたの

でありましょう。当方などは、ほとんど交流もなくって、他の人たちが卒業し

たのかどうかさえ承知しておりませんです。

 これは当方だけの話であるのか、それともまわりもみなそうであったのか

よくわかりません。そういえば、何組かクラス内で結婚した人もいたのですが、

彼らはいまも一緒に生活をしているのかな。

 それはともかく、森さんが結婚したという北海道出身の男性はどのあたりで

登場するのかと、先を急いでみておりました。

 結婚した頃の回顧がありました。

「資格試験の勉強を始めた夫を支え、編集のアルバイトはなんでも引き受けた。

二十五歳で結婚してから『谷根千』を始める二十九歳までの四年間がいちばん

貧乏で、何をしていいのか、したいのかわからない時代でした。とにかく、

夫に一人前になってもらわなければ。」

 ということで、この時代の森さんはけなげな(?)妻であったのですね。

三十六歳の時に、夫とは離婚したとありました。(たぶん、資格試験には合格

しなかったのではないかな)

 そうしたアルバイトの一つのことを、次のように記しています。

「新聞研の講師に来ておられた信木三郎さんの伝手で、彼が重役を務める『講

談社インターナショナル』のアルバイトを始めました。時給が九百円と当時と

してはわりとよく、一日四時間働いて三六百円もらいました。信木さんには

『君は出版社を二年でやめたんだって?」と聞かれました。会社の名前を告げる

と『え、あそこで二年も保ったのか』と逆に感心されましたが。」

 信木さんといえば、以前にもこの場で言及したことがありましたが、この方

には森まゆみさんもつながっていましたか。

信木さんが二年保ったと驚いた会社は、サイマル出版会でありました。