朝にテレビ番組を見ていましたら、パリ万博に合わせて徳川幕府が送った
使節のことを取り上げていました。フランス国から借金をして、それで軍艦を
購入し、薩長を叩くという目論見で、その交渉が難航し、その切り札として
最後に送り込まれたのが栗本鋤雲であったということで、この人のことを作家
の木内昇さんが人柄も、能力も素晴らしい人でと激賞していたら、司会の磯田
道史さんも、そのとおりでよくおわかりだと応じていました。
ほんのすこし前までは、栗本鋤雲って誰さでありましたが、芳賀徹さんの
「外交官の文章」のおかげでこの栗本さんの名前を知ることになりました。
図書館には芳賀徹さんの「文明の庫」が入っていまして、その目次をみま
したら「栗本鋤雲の生涯」という文章が収録されていまして、ありがたくこれを
借りてきました。
最近は忖度という言葉を良く耳にしますが、栗本鋤雲は忖度には縁のない人
であったようです。芳賀さんは、次のように書いています。
「幕末から明治へのあの変革の時代、・・・彼は最後まで屈せず、幕府命運の
維持と挽回に献身した。はじめは蝦夷地の一行政官として、ついで中央に活躍
する幕府外交官として、さらにフランス駐在日本全権代表として、活動の舞台
をひろげてゆきながら、つねに実務の第一線にあって、国内と海外から同時に
吹き付ける嵐に全力をあげて対処した。幕府が倒れて後は、終身野にあって新
政府の官職につかず、旧徳川家臣としての節を全うした。」
明治には在野の言論人として活動をされたこともあって、知名度が低いよう
でありますが、明治の元勲といわれる人たちと比べても人間的には優れていた
ようで、最近になって再び光があたることになっているのは、そのためであり
ましょう。