読まないとは思うけど

 こちらのブロック夕刊紙には、時事通信が配信する書評の掲載があるので

ですが、今週は斎藤慎爾さんが評する「あちらにいる鬼」 井上荒野さんの

ものでした。

あちらにいる鬼

 帯にも正真正銘の問題作とあるのですが、斎藤さんは、これに一行添付した

いと記してから、次のように書いています。

「近現代文学史上、かかる<衝撃作>が公表されたことがあっただろうかと。」

(そういえば、斎藤慎爾さんは、寂聴伝という著作がありました。) 

 版元は朝日新聞出版でありますが、ここからでているPR誌「一冊の本」での

紹介文は、次のようになっていました。

「人気作家・みはるは講演旅行を機に作家・白木と男女の関係になる。一方、白

木の妻・笙子は夫の淫行を黙認、平穏な生活を送っていた。だが、みはるにとっ

て白木は情交だけに終わらず、<書くこと>を通じてかけがえのない存在となる。

父と母、瀬戸内寂聴をモデルに3人の<特別な関係>に迫る問題作」

 最近の瀬戸内寂聴さんの人気からいっても、この小説は話題になりそうであり

ますし、売れるのでしょうね。

 瀬戸内さんが出家するときに今東光師から、これからは男断ちをすることでい

いなと念を押されたとかいうのを読んだことがありましたが、その背景にあるの

は、このことでありましたか。

 文学の世界には、このような作家、詩人とその連れ合いをまじえての三角関係

は、そんなに珍しいことではないようにも思うのですが、それを一方の子どもが作

品に仕立てるということになると、これはめったにないことでしょう。しかも、当事者

がまだ生きているうちにであります。

 突然ながら、井上光晴さんと瀬戸内寂聴さんがこのような関係であったことを

大西巨人さんはご存知であったのかなと思ったりです。

 井上光晴さんが亡くなった年に大西巨人さんは「三位一体の神話」という作品

を書き、そのあとで文芸誌「すばる」から、作家インタビューを申し込まれ、それを

承諾し、写真を撮影されたにもかかわらず、これが「作家のindex」という欄に掲

載とならなかったのは、何故かと「すばる」編集部とのやりとりを雑誌「EQ」に発

表することになりです。

 この文章は「『作家のindex』事件」というタイトルですが、大西さんは「すばる」

は、大西さんの「三位一体の神話」の登場人物の一人(この人はよく書かれてい

ない。)が井上光晴を想起させ、井上光晴に恩義を感じている「すばる」は井上

追悼号をだしているが、そうしたときに井上を悪く書いているように思われる

ような小説の作者を、「すばる」の「作家のindex」に登場させるのは如何なもの

かという判断にいたったのではないかと記するわけです。

 大西さんには、それは「大人の判断で」というような言い訳は許されないです

ね。この「『作家のindex』事件」の最後のくだりです。

「『すばる』昨年8月号は、問題の井上光晴にたいする『追悼』を特集していて、

七人の筆者が、参加している。そのうち、瀬戸内寂聴小田切秀雄の二人は、

集英社ないし『すばる』と年来とりわけ関係が深い。『すばる』現編集長の桁

はずれに理不尽な言行・公器の私物化・言論表現の自由にたいする阻害・

そういう極悪の否定的現象にたいして、瀬戸内も小田切も、おのおののかねて

よる標榜する文学的・思想的・人間的立場からして、最も峻厳に臨むはずで

ある。たとえばこの二人のこの件にたいする出方は、集英社の(他の)上役なり

出方とともに、江湖の刮目になかんずく値する。」

 この「『作家のindex』事件」は大西巨人文選4「遼遠」に収録されているの

ですが、「三位一体の神話」など大西さんのものを読もうとしたら、井上光晴

ものを併読するのは許されないことであります。

 もちろん荒野さんのこの作品もであります。