竹久不二彦かな

 先日に届いた「本の雑誌」8月号を見ていましたら、沢野ひろしさん

が「竹久不二彦の山」という文章を書いていました。

本の雑誌446号2020年8月号

本の雑誌446号2020年8月号

  • 発売日: 2020/07/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  竹久不二彦は、名前からもわかるように竹久夢二の次男であります。

沢野さんが不二彦さんのことを知ったのは、辻まことさんの本によると

あります。

辻まことの本を開くと、金鉱を探る山師のことが語られていて目を惹い

た。そして各地の山々を歩きまわった三人の仲間の中に、忽然と不二彦の

名が現れた。

 辻まことと不二彦、その出会いは『山靴の画文ヤ 辻まことのこと』

にくわしく書かれ、思わず身を乗り出して読みふけった。」

山靴の画文ヤ辻まことのこと

山靴の画文ヤ辻まことのこと

  • 作者:駒村 吉重
  • 発売日: 2013/01/01
  • メディア: 単行本
 

 こんな父親はごめんだなということになれば、辻まことの父である辻潤

竹久夢二などは、その代表的な存在で、父親はだめだけど母親はまともで

よかったねということからすると、辻まことは母が伊藤野枝さんですから、

ほんとにすごい両親のもとに生まれたことになります。

 こういう二人から生まれた辻まことさんに興味がわかないはずがなしで、

ちょうど仕事についたころにみすずから本がでたりしたこともあって、その

本を買ってみたり、そのあとには辻まことさんをモデルにした小説などを

読んだりもしてみました。

vzf12576.hatenablog.com 今回の沢野さんの本を読んで初めて知ったのは、この先の話となるの

ですが、戦後における竹久不二彦さんの動きであります。

「戦後まもない昭和二十(1945)年九月、不二彦一家は東京都大森区

募集した北海道開拓移民の団長として出発した。焼け出され住む家が

なかったわけではないはずだ。何か思うところがあったのだろう。日高

門別緑町にて酪農を志す。・・・

 一行は三十四歳の不二彦を先頭に百登枝夫人、放蕩の兄虹之助が手放し

た娘みなみ、辻まことと竹林イヴォンヌの間に生まれ、養女に迎えた野生、

辻まことの弟の五人であった。

 それから四年して不二彦は以来を受けて門別富川町に移り、富川中学校

と富川夜間高校の美術教師として中学校の公宅へ移り住む。」

 辻まことさんの娘さんが竹久姓を名乗っているのは知っていましたが、

北海道で戦後開拓に従事していたことは、全く知らずです。

 当方の住む町にも東京から移住して開拓にはいった地区がありまして、

ほとんど開拓はうまくいかなかったのですが、入植して二十年ほどで開拓

地が工業用地として買収されることにより貧農生活に別れを告げたなんて

ことがありました。

 この開拓団にもちょっとしたインテリさんたちが含まれていて、入植に

いたる経緯や開拓生活についての記録を残しているのですが、竹久不二彦

さんも、この門別での生活についての文章を残しているのでしょうか。

これはほんと気になることであります。

 沢野さんの書くところでは、「不二彦は自分の仕事についてはほとんど

書き残さなかった。今その足跡をわずかながら終えるのは、平成三十年秋

に金沢湯湧夢二館で開催された特別展のカタログによる。」とあります。

 そうかほとんど書き残していないのか。門別時代の教え子たちが何か

書いているはずですね。こちらはどこかで見つからないかな。