本が本をよぶ 3

 小沢信男さんの「東京骨灰紀行」を開いていたら、「蘭学事始」によばれました。

蘭学事始 (岩波文庫 青 20-1)

蘭学事始 (岩波文庫 青 20-1)

 築地に「解体新書」に関する碑があるのは、この地で翻訳作業がされたことにより
ますが、そこが中津藩の屋敷であったことは、昨日に記したとおりです。
 「蘭学事始」では、前野良澤について次のように記されています。
「さて、翁が友豊前中津侯の医官前野良澤といへるものあり。この人幼少にして孤と
なり、その伯父淀侯の医師宮田全澤といふ人に養はれて成り立ちし男なり。この全澤、
博学の人なりしが、天性奇人にて、萬事その好むところ常人に異なりしにより、その
良澤を教育せしところもまた非常なりしとなり。その教へに、人といふ者は、世に
廃れんと思ふ芸能は習ひ置きて末々までも絶えざるやうにし、常時人のすててせぬ
ことになりしをばこれをなして、世のために後にその事の残るやうにすべしと教へら
れしよし。いかさまその教へに違はず、この良澤といへる男も天然の奇士にてありし
なり。」
 藩でおかかえの医者なのですから、それなりの身分でしょうが、こどもに教えるに
あたって「廃れんと思ふ芸能は習ひ置きて末々までも絶えざるやうにし」というのは、
すごいことであります。今の時代であれば、なににあたるでしょうか。ほとんど光が
あたらなくなってしまった芸能のことを思い浮かべました。
 良澤は、どのような芸能をすることになったかといえば、続いて次のようにありま
す。
「遊芸にても、世にすたりし一節截を稽古してその秘曲を極め、またをかしきは、
猿若狂言の会ありと聞きて、これも稽古に通ひしこともありたり。かくの如く奇を好む
性なりしにより、青木君の門に入りて和蘭の横文字とその一二の国語をも習ひしなり。」
 1700年代の終わり頃の話であります。「一節截」というのは「ひとよぎり」という
ものだそうで、「尺八ににて、尺八よりもすこし短い楽器」とあります。江戸中期まで
行われたそうですが、尺八におされて廃れてしまったとのことです。
 これがそうなのでしょうか。

 それにしても、新しい時代には奇なる人が必要ということでしょうか。