本が本をよぶ 2

 本が本をよぶであります。
 昨日に午前中に小沢信男さんの「東京骨灰紀行」を読んでいて、「蘭学事始」の記述
を目にしておりましたら、午後にブックオフへといきましたら、岩波文庫蘭学事始
が売られていました。これはほんと珍しい。
 どなたかが亡くなられて処分されたのでしょうか、かなり古い岩波文庫(料金が☆で
表示されていた時代のもの、ちなみに☆ひとつ百円でした。)が帯付きですこしまと
まってでていました。ここにはファーブル「昆虫記」のそろいなどもありましたが、
さすがにこれは読むことができなそうなので、購入を断念しました。(林達夫さんが
翻訳しているのですから、これも本がよんだことになりです。)
 「蘭学事始」は☆一つですから、当時百円でしょうか。ちなみにこの本の発行は昭和
41(1966)年となります。
 小沢信男さんによりますと、築地にこの碑があるのは、この地に大分中津藩中屋敷
あって、ここに前野良沢が住んでおり、その屋敷に杉田玄白ほかが集まって「解体新書」
の翻訳に取り組んだことによります。この中津藩中屋敷が幕府によって召し上げられ、
外国人居留地となり、その後外国人向けの医療機関が開設されて、それが聖路加国際
病院となったとあります。それにしても、慶應義塾発祥と蘭学事始が、ともに中津藩の
中屋敷からおこっているとは知りませんでした。福沢諭吉が、「蘭学事始」の木版刊行
を斡旋したといのも理解できます。
 ちなみに「蘭学事始」というか「解体新書」にちなむ碑というのは、別な場所に、もう
ひとつありと小沢信男さんは書いています。築地の前におかれた「千住、幻のちまた」に
でているのですが、「史蹟小塚原回向院」にある「観臓記念碑」がそれであります。
日本の解剖学の始まりは、刑死した人の腑分けに起源があるのでした。