戦後と戦前の間 2

 戦後69年でありまして、戦争を体験した方々はたくさんいるのですが、それを引き
ずっているのは、ほとんど沖縄だけになっているようであります。国内では空襲とか
原爆によって一般人が亡くなっているわけですが、もちろんこの方々は戦没者慰霊祭で
追悼されることはなしであります。戦没者というのは、あくまでも戦争で闘って亡く
なった人のことでありまして、同じように戦争で亡くなったとしても、非戦闘員の
死に対して国家は距離を置いているようであります。
 銃後の守りとか一億玉砕とかいって、戦争へと駆り立てておいてであります。
 国内で唯一戦場となった(地上戦が闘われた)沖縄は、県をあげて今も異を唱えている
ように思います。戦場になったことと、いまだに変わらない占領下のような基地の状況が
沖縄をして、日本の中で特異な地域としています。
 沖縄の人たちが発言を続けていかなくては、沖縄で地上戦があって、多くの銃後の守り
手たちが亡くなったということも歴史の彼方にとんでしまいそうです。
権力者のみならず、人間というのは、自分にとって都合の悪いことは忘れてしまいたいか、
なかったことにしてしまいたいようでありまして、そのところに拘泥する人たちは自虐的
であるとレッテルをはられるようです。
 日本の戦後がどこまでであるかは、いまは判然としませんが、戦前のスタートというの
は、今の内閣ができたときを起点とするように思われます。なんといっても戦争ができる
当たり前の国にするために、心を砕いてまつりごとにあたられたのでありますからして、
これは忘れるわけにはいきません。
 小尾俊人さんの著書「昨日と明日の間」に収録の「夜と霧 序」の冒頭部分からの引用
であります。
「1931年の日本の満州侵略に始まる現代史の潮流を省みるとき、人間であることを恥じ
ずにはおられないような二つの出来事の印象が強烈である。それは戦争との関連において
起こった事件ではあるが、戦争そのものにおいてではなく、むしろ国家の内政と国民性と
により深いつながりがあると思われる。さらに根本的には人間性の本質についての深刻な
反省を強いるものである。」
 ここで小尾さんはあげている二つの出来事とは、1937年に起こった南京事件ナチス
による強制収容所の組織的集団的虐殺である。
強制収容所における虐殺については、事実でないとするような異論をドイツ国内において
発言することは、禁じられているように思いますが、一方の南京事件については、ここに
来て、大虐殺なんてことはなかったというような言説もあって、なんともこの国らしい
ことであります。