追悼 松山俊太郎さん 3

 「綺想礼讃」の付録栞に掲載の吉村明彦さんの文章から、松山俊太郎さんが登場する
著作を紹介しています。
 本日は、この本です。

 30年ほど前の文庫本でありますが、うまいこと手近にありまして、それには帯が
ついていました。帯には「自伝的長編実名小説」とあります。帯には登場人物がずらり
とならんでいますが、なるほどここには石堂淑朗種村季弘も松山さんの名もありま
した。
 松山さんは、この小説には石堂淑朗さんの知り合いということで登場します。
「松山俊太郎は東大印哲を卒え、若いながら梵語の権威、学会長老の論文を代筆して
生活するととも、浅草ストリッパー何人かが、彼を経済的に援助し、ストリッパーの
ヒモも、また松山に心服しているという説もあった。
 片方の指が何本か欠けていて、これもピストルを弄ぶうちに爆発した、あるいは、
黒猫を爆死させようとして失敗したと二つの説がある。東大時代、空手部の主将、
冬も浴衣一枚で、その襟からのぞく肌は、透き通るほどに白いが、胸板ががっしりと
厚く、酔えばしばしば器物を節くれ立った拳で破損せしめる。プラスティックの波板
は、打撃に強いはずだが、松山はこれをしつこく打って、紙吹雪の如くにしてしまった
のを、庄助、見たことがある。
 器物に対する暴力はまだしも、いったん彼がサディスティックにからみはじめたら、
これは蟻地獄だった。まがうかたなき美男子、すずやかな眼で相手の視線をとらえ、
張りのあるバリトンで、徹底的に追いつめる。『それはちがいますでしょう』と、
何度か庄助もいためつけられ、石堂が初めての時松山の消息をたずねたのは、もし
来る気配あるならずらかるためと、後で納得したのだ。」
 「新宿海溝」の文庫本は、いまでも容易に入手可能なようですが、これは便利なこと
に巻末に登場人物とお店の索引があります。これによると松山俊太郎さんは、ここに
引用したところと、後段にもう一度登場することがわかります。