建築家つながり 5

 松村正恒さんの「自然で簡素な学校をつくるに真剣だった。」という文章の後半を紹
介します。
 松村さんが思いを込めた学校をつくるというといっても、その計画がすんなり受け入れ
られるとは限りません。
「かっての学校は、全国一律でした。わたしはそれをいかにして壊せるか、と苦心してき
たのです。もちろんいろんな抵抗にもあいました。それこそ、職を失ってでもやらなけれ
ばならない立場に、何度も立たされました。なかなか自分の考え通りにはいかないもので
す。しかしなんとか学校を変革したかった。
けれでも、それは人目をひこうだとか、自分のデザインをみせびらかしたいということで
は、まったくなかった。これまでの、学校のかたを破りたかっただけなのです。自由な
発想で、学校をつくりたかったにすぎないのです。目的は、だから恒に学校にあったので
す。教育の環境とともに、教育も変わってほしいと願いながら、学校を設計したのです。
建築は、所詮器にすぎないのです。それでいいのです。今のように自分のしたいことを
やろうということではないのです。だからわたしは、誰が設計したか、などということ
はどうでもいい。いい学校ができれば、それでいいのです。」
 読むと読むほどなるほどという文章であります。
 最後は次のように終わります。
「むかしは、学校は村のほこりだった。そこには、きっとそうした目に見えない何かが
宿っていたに違いないのです。わたしはそういうかたちだけではない、こころとでも
いっていいようなものを学校建築に込めたかったのです。
 学校の主役は子供であり、先生です。決して建築家ではない。建築はあくまでも脇役に
すぎません。わたしたちは、そのことを忘れてはならないのです。」
 「学校の主役は子供」というのは、当たり前のことのように思いますが、最近の現実は
それに首をかしげるようなことが多くはないでしょうか。