みみずく先生 5

 みみずく先生は、浪漫派文学・芸術を主軸として文筆活動を行ったのですが、父親が
浮世絵の研究家でもあったので、幼少のころから江戸時代の文化にも親しんでいたもの
と思われます。
 「風狂 虎の巻」には、贋作について文章がありますが、そこには、次のようにあり
ます。
「昨年暮(1982年のこと、ボストン美術館に通って、収蔵される曽我粛白の逸品を直接
収蔵庫に入れて見せて戴き、丸一日かけて肉眼でわたしは精査したが、五十数点の所蔵
を誇るボストンだったが、はやり偽作はあった。ある拾得図をみて、思わずわたしが小
さい叫び声をあげると、キュアレーターのウィレアム・ドレスマンは走り寄ってきて、
心配そうに<フォージャリ?・・ですね?>とわたしの顔をのぞき込むようにしていわ
れたものだ。<ええ、これはいけませんね。これを造った人の名前はもちろん分からな
い。しかし同じ人物の作に違いない偽作をわたしも一軸もっているので、偽作であるこ
とがよく分かるのです。全く同じ様式です。」
 この文章は、巻末におかれている「書誌学も極まるところ一つの犯罪」のなかにある
ものですが、ボストン美術館で収蔵庫にいれてもらえるということに驚いてしまいます。
文学者の余技以上のものを感じますね。美術館の学芸員と作品の品定めを行うのです
から、すごいことです。「偽作をわたしも一軸もっている」とあるのは、父親が蒐集
したものでしょうか、それとも、みみずく先生が自ら蒐集したののでありましょう
か。 
 そういえば、この「風狂 虎の巻」の巻頭近くには、「江戸芸術のマニエリスム
という文章があって、これの副題は「曽我蕭白のケース・スタディ」というものでし
た。
天明期に開花した日本人の感性の空間は、もしも<日本マニエリスム>という言葉
が使えるなら、その前後のどこにも見当たらない純度の高い狂妖の芸術空間であると
いえよう。・・・とりわけここで語ろうとする曽我鬼神斎蛇足軒蕭白道人が、江戸時
代日本芸術の幻想空間の迫力と奥行きとを、その雄勁なタッチにのせて、現代に
むかって開き見せ、われわれを圧倒する。」
 先に引用した文章には「曽我粛白」とあって、それをそのまま引用したのであり
ますが、後の文章を見ますと、この「粛白」というのは、校正ミスでありますね。
 みみずく先生には、英文学よりも前に江戸の文化になじんでいたように思えます。
そうしたことが、「わたしが求めてやまなかった江戸文人と洋学者の伝統」という
ことにつながっていくのでしょう。