セ・パ さよならプロ野球4

 川崎球場が完成したのは1951年とありますので、当方が生まれたのと同じ年でありま
す。人間であればなんとか60歳近くまで現役でいることができるというのに、野球場は
早々に古くて使えないといわれるのでありました。
 川崎球場は、ロッテ球団が千葉に本拠地を動かすのをきっかけにプロ野球興行が行わ
れる施設ではなくなり、今も残ってはいるのですが、スタンドなども解体されている
ようであります。野球場としては甲子園のほうが、ずっと建物は古いのですが、これは
利用するチームの人気の違いでありますね。
 川崎球場についても、多くの文章が書かれているようですが、ウィキペディアも相当
に詳しい記述となっていました。川崎球場で野球を見ることについての、一番心に残る
文章は、文芸批評家 川村二郎(ドイツ文学者のほう、朝日新聞記者にあらず。)さん
が、朝日新聞に寄せたものです。この文のことは、拙ブログでもなんどか言及したことが
あるのですが、切り抜きしていたものが見つからずで、具体的な紹介をすることができま
せんでした。( 朝日新聞 1992年4月20日月曜日 に掲載のものです。)
 92年はちょうど、このシーズンからロッテは千葉に本拠をうつしたのでありますか
ら、長年ロッテファンであった川村二郎さんによる川崎球場とロッテ球団への挽歌の
ようなものです。これまた偶然でありますが、この年に、川村さんは都立大学を退職し
て、大阪芸術大学教授となり、大阪に通勤するようになったのでした。
 ここ数日、表題としています「セ・パさよならプロ野球」というのは、吉川良さんの
小説のタイトルであります。この作品は、川崎に住んでロッテの応援に一シーズン没頭
する無職の中年男性の物語であります。これまで、ロッテと川崎球場を話題としていた
のは、この小説につなげるためでした。
 この作品のシーズンは1983年のことで、川村二郎さんの文章は92年ですから、ちょう
ど十年ほどの開きがあります。この十年間は、どういう時代であったかというのは、
あとに話題とすることにいたしましょう。
 まずは、川村二郎さんの文章から引用をします。
「 昭和二十五年にプロ野球が二リーグ制になって以来、パシフィック・リーグのゲー
ムしか見ない愛好家にとっては、切符が売れ残るのが深刻な話題になるなど、幸福な別
世界の夢物語のように聞こえるばかりである。
 大体どんな催しであろうと、いつも必ず満員になるというのが普通でないので、それ
が普通になりそうだということで騒ぐ世間もどうかしている。商売なら儲けなくては
ならぬにしても、ほどほどということがある。・・・
 家が近いので、ここ二十年ばかりは、主に川崎球場へ出かけていた。知られている通
り、ここはほどほどをはるかに下回る球場である。ある年の開幕ゲームに友人を誘った
ら、前売り券を買わないでよいのかという。全く必要ないのだと説明しても信じられ
ないようだったが、当日スタンドに入って初めて納得したらしかった。とにかく閑寂と
いうか、静謐というか、野球を見に来たのか騒ぎに来たのか分からない少年少女たちの
阿鼻叫喚とは全く無縁で、一応旗を振ったり笛を吹いたりする篤志家たちはいるものの、
山間の小さな神社のお祭りかなんぞのようで、かえって侘びしさを増す。しかしその中
では、ただ心をこめてゲームを見るよりほかなくて、そして見たものは記憶に焼きつ
く。」
 川村二郎さんの文章というと、面倒な印象をもっていたので、これを目にしてとき
は、川村さんに対する印象がかわりました。亡くなったときも、長年のパリーグファン
であったと紹介されていたように思います。