セ・パ さよならプロ野球3

「さらば宝石」のEこと榎本喜八さん(沢木耕太郎さんの文章の最後の行で、この名前が
あきらかになります。)は、大毎オリオンズの選手でありました。いまでは大毎という
言葉を聞くことはありませんが、これは大阪毎日の略であるのかと思っておりましたら、
毎日と大映が合併してできた名称であるとのことです。毎日は新聞で、大映は映画です。
かっては、電鉄会社(西鉄、阪急、近鉄国鉄阪神)、新聞(読売、中日、毎日)、
映画(東映大映、松竹)、漁業(大洋)などがチームを持っていたのですが、いまに
続いているのはいくつでありましょう。広島カープというユニークなチームは、今も
ありますね。
 大毎時代のオリオンズは、東京スタジアムという今はなくなってしまった球場が
ホームでしたが、その後、チームがロッテに身売りしてからは大洋球団が移転したあと
川崎球場をホームとするになりました。
 大毎オリオンズの榎本選手について書かれた「さらば宝石」に登場する川崎球場は、
1960(昭和35)年の日本シリーズ大洋ホエールズ大毎オリオンズの舞台としてで
ありました。もちろん、この時代は大洋がホームチームでありました。
このシリーズは大洋が四連勝して、三原マジックと監督が褒め称えられたものです。
大洋球団の赤字なんて、鯨一頭(?)仕留めればすぐにちゃらになるというような
ことを、当時の大洋のオーナーがいって、さすがにスケールが違うと喝采をおくった
ものです。