セ・パ さよならプロ野球2

 野球話題が続きます。当方が「敗れざる者」と聞いた時、一番に思い浮かぶのは、
沢木耕太郎さんが「さらば、宝石」という文章で取り上げたプロ野球選手のことで
あります。
 この文中ではEというイニシャルになっていましたが、これは先月14日に75歳で
なくなった「榎本喜八」さんのことであります。往年の名打者でありますが、
現役時代の映像などを見る機会は、ほとんどなかったものの、昭和の安打製造機
いえば、まずは筆頭にあがるのが榎本さんでありましょう。(今、検索をかけて
みましたら、この方については、たいへんくわしいウィキペディアの項目があり
まして、このくらいのとりあげがあってもいいよなと思います。)
 当方は、現在シアトルで活躍しているイチローの若いころの雰囲気が、なにやら
榎本さんのイメージと重なって、あぶないものを感じたのですが、イチローのほう
が、ずっとドライでありましょう。
 沢木さんの文章から、当方の好きなところを引用します。
「Eにとってバッティングとは、まさに『道』と呼ぶに相応しいものだった。それは
他人に容易に理解できるものではなかっただろう。オリオンズ担当記者は、かなり
親しくなったあとで、Eがよくこうつぶやいていたことを記憶している。
<体が生きて、間が合えば、必ずヒットになる>
 会心のミートで飛んだ打球が、記録上のヒットになるか野手の正面をつくかは運の
問題だ。そして、それはさして重要なことではない、とEは考えていた。ダッグアウト
の中で、四打数三安打なのに<四の一か>と呟いたり、四打数ノーヒットなのに
<四の四>だと喜んでいるEを、オリオンズのナインはよく見ている。彼にとっては、
テキサス安打やコースがよく転がって外野に抜けた安打など、ヒットではなかった
のだ。『体が生きて間が合』ったものだけが、彼の心の中の、真のヒットだったのだ。」
 イチローは、ヒットの数の多さを競うということで、「求道者」とはなったものの、
バランスをとることができたのでありましょう。