セ・パ さよならプロ野球

 いまから20年くらい前のことですが、「セ・パ」と聞いて何を思い出すという
と、30代男性のほとんどは、それってプロ野球と答えたと思います。最近であれば、
それは韓流のなにかといわれそうです。
 日本のプロ野球が、国民に圧倒的な人気を獲得していたのは、50年近くも前のこ
とになります。それこそ真空管のラジオで野球中継を聞くのが楽しみでありました。
あの時代(50年ほど前のこと)において、当方の住む地方のラジオ局は中継を途中で
打ち切ることが多かったので、そのあとを聞こうとすると、短波放送に頼るしかな
かったようで、真空管ラジオにとりつける短波のチューナーというのを利用して、
短波放送を聞いていたように思います。その当時の亡父は、けっこう熱心な巨人
ファンでありました。この時代は、野球は巨人で、相撲は栃若でありました。 
 この時代の野球のことを取り上げているものが沢木耕太郎さんの「敗れざる者た
ち」にあります。

敗れざる者たち (文春文庫)

敗れざる者たち (文春文庫)

 「三人の三塁手」という作品には、「昭和34年6月25日の巨神戦における、先発
メンバー」が掲載されています。これは「天覧試合」であり、巨人の長島がさよなら
ホームランを打ったことで語り継がれているものです。この時代の巨人の先発メン
バーの名前は、50年たったいまでも思い出すことができます。
与那嶺、広岡、藤尾、長島、坂崎、王、土屋、森、藤田というのが、この時の先発
でありました。(熱心な阪神ファンからは、阪神だってすごいメンバーであったと 
いわれそうです。阪神の先発メンバーは、吉田、鎌田、三宅、藤本、大津、横山、
並木、山本、小山とのこと。)
「三人の三塁手」というのは、長島と同年で、同じように地方の県立高校から大学
などを経てプロ野球の巨人軍に身を投じた難波昭二郎さんと土屋正孝さんをとりあ
げたものでした。
 この三人の選手は、高校時代にはほとんど無名であったのですが、高校野球
甲子園でヒーローになって、プロ入りするとものすごく話題になるわけですから、
芽が出なくて終わったりしますと、それこそ「敗れざる者たち」リストの仲間入り
となるわけです。