小沢信男著作 147

 小沢さんによる本所についての続きです。
「 この三角地帯を増殖して無限におしひろげ、そこへ煙突を林立させれば、戦前の本所
の姿になるだろうか。・・
 さて、そうした戦前の本所を復活させたとして、それは大正12年(1913年)9月1日
関東大震災で灰燼に帰した。その後の復興の風景のわけである。このとき東京市
死者六万八千余人、うち五万四千余人が本所区で、やはり最高の罹災度だった。
 震災前の本所はどうか、おそらく煙突も芦荻もともに林立して、家並もだいぶ江戸に
近くなるだろう。その幕末・明治の本所風景も、じつは安政地震からの復興の図なの
である。安政2年(1855)10月2日の直下型地震による江戸市中の崩壊家屋一万四千余
戸のうち本所・深川だけで一万余戸。被害最大のご当地なので、あぁもうきりがない。
 この南窓の眺めは、時代をさかのぼるごとにスライド写真をさし替える式にがらりと
変る。その代り目に災害がある。多かれ少なかれそれは全東京の運命としても、極端度に
おいて、ご当地こそは典型であろう。しかもそんな目にあいながらも本所はやっぱり本所
であるらしい。その変らざる所以は何なのか。」
 「時代をさかのぼるごとにスライド写真」というのを見ると、むかしののぞきからくり
のことが頭にうかびました。スライドショーというよりものぞきからくりで、それには、
節をつけたかたりがほしいところです。
 本所の地面を掘り起こすと、50年ごとくらいに震災・戦災での廃墟が、層をなしてい
るのですが、災害による亡くなった人達の骨灰がその層には見られて、まるで遺跡の上
に建つ街のごとくであります。