小沢信男著作 133

 小沢信男さんの河出書房版「東京百景」を手にして、ぱらぱらとページをめくり
ながら、目にとまったところを引用しておりました。
 たぶん、いくつか重要な作品をスルーしているのかと思いますが、それについて
は、またあとで言及することがあるかもしれません。(「青鞜の女たち」とか、
「女の戦後史」など)
 この本の最後におかれている文章は、「風景としての東京」です。
 書き出しは、「東京のイメージはずばり何色か、と若者にたずねたところ、約半数が
『灰色』と答えてダントツの一位だった・・と先日ラジオがいっていた。」というもの
です。1980年代後半の東京の話であります。
 最近、同様の質問をしたら、どのような回答が多数を占めるのでしょうか。この時代の
グレーというのは、「新宿の超高層街のクリスタルなビル壁を、曇天に見やれば、あの
長方形の一団は灰色である。暗い墓場のシルエットのように見える日もある。天候次第、
気分次第ともいえて、そして若者はおおむね人生にたいして焦燥しているはずゆえ、
グレーな印象になってももっともなのだ。」によるもののようです。
 超高層の東京がグレーなら、2011年の東京は、さらに超高層化はすすんでいるので
しょうから、さらにグレーの度合いは「人生にたいする焦燥」が深くなっていることも
あって、色濃くなっているのでしょうか。
 小沢さんの東京の色といえば、茶色となります。
「おまえにとっての東京はずばり何色かと問われれば、茶色と答える。私が生まれ育った
戦前の東京は、ずいぶんと茶色っぽかった。いや都心部は道路も橋も小学校も、おおかた
石とコンクリートで灰色であったけれど、大抵の家は壁板を下見に張った木造だった。
・・当時の東京は三十五区で、人口は六百万といわれた。その大部分が茶色い木の家に
住んでいたわけだ。」
 いまではバラックといってばかにされそうでありますが、当方がこどもの頃(小学校
4年くらいまで)に住んでいた家は、モルタルを塗らない下見の家でありました。
「 ビルディングだって茶系統が多かった。丸の内煉瓦街、東京駅などの赤煉瓦色か
ら、帝国ホテルの大谷石と黄土色タイルのツートンカラーまで、クレヨンで描くと
なればブラウン系の濃淡を使ったのだ。日比谷公会堂はしっかり茶色だし、大阪ビルも
茶と白のツートンだった。
 それらのビルディングのなんと堂々としていたことよ。子供心にほとんど私は尊敬し
た。だいいちひと目で見尽せない。いつ見ても見飽きない。つまり偉容があって美人
なのだ。」
 いまだに現役の建物は、日比谷公会堂でしょうか。戦前にはあの建物が尊敬をあつ
めたとあります。いまはレトロオフィスビルの筆頭でしょう。こうした茶色のビルに
は、次々と姿を消してしまいました。
 茶色の地肌のビルの材料として使われていたのは、大谷石常滑産のスクラッチ
タイルだそうです。
「さほど名もなきビルにせよひっかきタイルの建物に出会うと、おなじ昭和ヒトケタ
生まれとして私はひそかに親愛を覚える。たがいに余命いくばくかと思う。」
 超高層ビルが林立する都会というのは、こどものころの未来都市のイメージであり
ましたが、未来都市というものが、人々にとって住みやすさを実現するものでない
こともまたはっきりとしてきました。
 東京は茶色のほうがいいというのは、懐古主義でありましょうか。