和菓子の日

 本日の朝にNHKラジオを聞いておりましたら、今日はなんの日というコーナーで、
本日は「和菓子の日」であるといっておりました。昨日まで、ノアの本にかこつけ
て餅搗きとあんもの話題で遊んでいたのですが、「和菓子屋の息子」と記した時には、
その翌日が「和菓子の日」であるとは思ってもみませんでした。ちょうどタイミング
がよろしでありました。「和菓子協会」のホームページにその由来がきされており
ました。(  http://www.wagashi.or.jp/kinen.htm )
 せっかくですから、「和菓子屋の息子」さんの書いた本から、なにか引用してみる
ことといたしましょう。「和菓子屋の息子」というのは、小林信彦さんのことで、
その著書ですが、この本は、どうやら持っていないようであります。(当方は、
小林信彦さんのものでは喜劇論、コラム等を軸に読んでおりまして、小説はまったく
弱く、重要なものであってもぼろぼろと欠けています。)
 というわけで、小林信彦さんの最近の作品「日本橋バビロン」から、生家である
和菓子「立花屋」についてのところから引用してみましょう。

日本橋バビロン

日本橋バビロン

「 私自身はたった一度、『和菓子屋の息子 ある自伝的試み』という本を出版して
いるが、これは私が六十歳になった時、自分では遺書のつもりで書いたものだ。祖父
が六十一で亡くなっているので、私としては本気だった。・・・・
 私は祖父の顔を知らない。
 これは仕方がない。祖父は私が満二歳になって間もなく、この世を去っている。」
 祖父というの人は、製菓職人として働いたのちに、立花屋本店の八代目を継ぐため
に婿入りしたのだそうです。老舗ののれんを守るために婿入りするのですから、職人
としての腕が悪いはずがありません。小林信彦さんが、祖父のお弟子さんに取材した
内容が「日本橋バビロン」には記されています。
「 大福や上新粉はどこのお店でも作るのですが、うちのは歯触りがちがいました。
関東は西にくらべると、水が悪い、材料が悪いで、いいとこ無しなんです。だから
上新粉の捏ね方や蒸す時の呼吸といった微妙な基本で勝負するしかないんです。
あなたのお爺さんは、その勘所を三日でひとに教えました。うまくできるかどうか、
そこがあわいです。あわいが読めるかどうか、和菓子の善し悪しなって、あわいで
決まるんだから」
 「あわい」というのが、和菓子作りの決めてとありますが、この「あわい」という
言葉の微妙なニュワンスは、どうやら職人修行で身につけるもののようです。