学問の春 2

 山口昌男さんの「独断的大学論」は、札幌大学の学長として「21世紀の知を
育てた」記録であります。残念ながら、試みはすぐに空中分解してしまうのですが、
商売としての大学ということからは、合格点がつかなかった山口学長の大学運営
ではありますが、「知を育てる」ということからは興味深い試みがたくさんあり
ました。
 この本の冒頭から、偏差値で大学をランキングし、それによって進路選択する
高校生と教師、受験産業を批判しています。それは河合塾が大学ランキングで
札幌大学の学部にFランクをつけて、それを週刊誌でとりあげた朝日新聞への批判
という形で展開します。

「このFランクについて、一般の人がどういうイメージを持つかはいうまでもない
ことでしょう。勉強ができないバカな高校生でもはいれる大学、努力しなくても
はいれる大学、要するに最低レベルというレッテル張りです。・・
 先の『週刊朝日』の記事にしても、わざわざFランクの大学名を全部紹介する
必要なんかないのに『全実名』と銘打って紹介しているのは、まったくよけいな
お世話というものです。『できないヤツはこの大学に行け』といわんばかりの
偏差値エリート主義が透けてみえるようです。日頃、偏差値教育や学歴主義に
異を唱えている朝日新聞が出している週刊誌なのだから、一受験産業のしり馬
なんかに乗るなと言いたい。」

 大学受験を目指す高校生にとっては自分の偏差値と目標大学の合格可能性と
いうのは最大関心事であって、ほとんどはそこに入学してなにを学ぶかと
いうことは関心の外でありますね。大学を卒業して一流企業にはいったという
人ほどリストラにあっていたりするのですが、就職する会社を選ぶ時には、
まさかそんな将来があるとは、思ってもみないことでしょう。
「日本の近代の学校制度が排除のシステムとして機能してきたところにあり
ます。つまり、明治以来、日本の学校は暗記力が中心で、暗記ができない
人間を排除する役割を果たしてきたのです。・・福沢諭吉の『天は人の上に
人を造らず人の下に人を造らず』の精神どころか、その逆に、人間を選別する
働きを学校はしてきたのです。その頂点にあるのが大学で、大学自体もさらに
偏差値ピラミッド化され、上のほうほどありがたがられてきたわけです。」