書災のことなど2

 昨日に続いて神西清さんの「詩と小説のあひだ」47年9月刊に収録されている
「書災のことなど」から材料をいただきます。
 ロシア文学のすぐれた翻訳家である神西清さん(はてなキーワード登録されて
いないのが残念)には、「灰色の眼の女」という小説集があって、かっては中公文庫にも
はいっていました。小生は、この小説集のことは「小説の現在」という菅野昭正さんの
批評集で知ったはずですが、この菅野さんの本が見つかりませんので、すぐに確認は
できません。文治堂からか全集がでていたのですが、最近は、あまり神西さんの名前を
聞くこともなくなっているように思います。このまま、忘れ去られては、それこそ
もったいない人であります。
 さて、「書災のことなど」という戦時下における書籍の運命についてのエッセイには、
次のような興味深い話があります。
「 荷風氏が往年引っ越しの際などに手ばなされた洋書を、数年前の洋書輸入の禁この
かたは嘱目される毎に買い戻される由が記されてある。些かの躊躇とともに白状すれば、
恐らくそのような折りに街頭へただよい出た氏旧蔵本の片割れでもあろう、メルキュル版
ジイドの背徳者第四版の、その扉に荷風書屋と蔵書印の据わったのを、僕は1925年の
暮以来ひそかに愛蔵している。
 背後には読了の日付を記されたものと思しく、19年二月二十七日というフランス文字が、
やや茶褐色を帯びた赤鉛筆の楚々たる筆跡をもって書き入れてある。同じ色の赤鉛筆に間々
青鉛筆をまじえて、文中所々に傍線が施されている。」
 この文章は雑誌「新潮」にのったものですが、46年3月8日に記されたとあります。
この文章が発表されて数ヶ月してから、神西さんは、小説家 大佛次郎さんから次の
ような話をされたとのことです。上の文章にある「背徳者」についてのことです。
「 大佛氏は、みすみす君を幻滅させるようで気がとがめるがと前置きして、『実はあの
荷風氏旧蔵本は自分が学生時代に一時愛蔵していたものに相違ない、それを何日どうして
手放したかは記憶にないが、とにかくあのアンダーラインや読了日の記入などは悉く自分の
手になるものである。』と頗るいいにくそうに語られたのである。・・今やこの両名家の
手沢を帯びた名著の三代目の持ち主たるの栄を勝ち得たこの身の果報について、幻滅どこ
ろか旧に倍する欣びを感じた次第である。」
 大佛さんは、荷風旧蔵本を神田の古書肆で入手したのだそうですが、その当時は荷風蔵書が
だいぶ街頭へ流れでたとありました。
「なかでも、あちらのオペラ、芝居、音楽会などの入場券やプログラムの類をぎっしり貼り
込んだ大型のアルバムがあったのをつい求め残したのは、今にして思えばはなはだ残念で
あると大佛氏は述懐された。」
 大佛次郎は、最近「鞍馬天狗」が放送されていましたが、もともとはフランスものの
専門家であって、その関係の資料を膨大に蒐集していたのでした。とんでもなく書籍を
購入するので、いつも書店に借金があって、そのせいで資金稼ぎのために大衆小説を
書いたと記憶しています。
 戦前の日本で、フランス文学の原著を神田で購入するする人がそんなに多くいたとは
思えませんが、ジイドの「背徳者」が、永井荷風大佛次郎神西清という人の手をわたる
というのは、豪華なリレーではないですか。
この本は、いまはどこにあるのでしょうね。それと、荷風がつかった入場券などを貼り込んだ
スクラップは、どこに収まったのでありましょうか。