宇江敏勝さんの「山びとの記」を手にしているのですが、山仕事の歴史を
学ぶことができて、大変参考になることです。
山仕事というのは、かってこの地方の主力産業の一つでありましたが伐採が
進んで植林が追いつかずで、そのうちに価格の安い輸入材にやられてしまって、
山が荒れていくというパターンになっています。
その昔の山仕事というのは、きつい、危険、低賃金で封建的な雇用関係とい
うもので、とっても町の人にはつとまらないものであったようです。
本日に読んでいたところには、「キリ」と「ダシ」という言葉が出てくるので
すが、これは木材を伐ると搬出する人をいうのだそうです。
「ダシのことを別名ヒヨウともいった。漢字で書けば「日傭」ということになる
が、この場合は、キリ、ソマ(杣)、コビキ(木挽)、ウマ(木馬)に並列した
職種名であって、土木や植林は日傭いであっても、ヒヨウとは呼ばなかった。
近ごろでは混同されて使われてもいるが、かっては木材をシュラという設備でもっ
て山から落とし、谷川を流送する、特別な技術を持った職人たちを指していたので
ある。」
宇江さんの山仕事の世界では、日雇いさんのことを日傭というのですが、それを
ヒヨウと表示すれば、特別な技術を持った職人たちのことをいうのですね。
最近はほとんど死語になっている日傭という言葉ですが、最近手にした文庫本で
目にすることになりです。
「『やっぱり百姓の方がえい。』とばあさんはまた囁いた。
『お、なんぼ貧乏しても村に居る方がえい。』とじいさんはため息をついた。
『今から去んで日傭でも、小作でもするかい。どんな汚いところじゃって、のんび
り手足を伸ばせる方がなんぼえいやら知れん。」
「日傭」にはひようとふりがながふられていました。これは1925年9月に発表
の小説「老夫婦」の一節にあったものですが、老夫婦とは言っても夫は六十になっ
たばかりで、妻は五十半ばですから、百年前の日本は立派な年寄りか。
それにしても日傭という言葉を、日をおかずに目にするとは不思議なことであり
ました。