一身にして二生を 2

 金時鐘さんの「朝鮮と日本に生きる」を読み継いでいます。まだ半分とすこしという
状態でありますが、ここまでで読んだだけであっても、「一身にして二生を経る」を
強く感じることです。

 日本統治下の済州島で小学校の教育をうけた金時鐘さんにとっての目標は、立派な
新日本人となってお国のために役に立つことであったとあります。もちろん、この
場合のお国とは、大日本帝国でありまして、「大日本帝国へ帰属することで、近代開
化から取り残されている自分の国、朝鮮が開明される。」と強く信じていたとありま
す。
 これは金時鐘さんが受けた教育の成果でありまして、こうした教育を受けていない
父親は、「(学校で)使ってはならない朝鮮語しか使わず、職もなければ働きもしな
い父こそ『非国民呼ばわり』されても仕方がない存在」と思うにいたるわけです。
「げに恐ろしきは教育の力です。いかに年月が経とうと教育の怖さを噛みしめない
わけにはまいりません。教育を一方的に管理する国家があったことを忘れてしまって
は、悪夢はますますそのなかでほくそ笑むばかりです。」
 そうした教育の力をわかっているので、現在の首相は国会でにっきょうそ、日教組
とやじり、愛国心の涵養、道徳教育の重要さをかたるのでありますね。
 昨日に引用した坪内祐三さんの文章にある「小沢信男さんとほぼ同世代の作家たち」
は、戦前と戦後というまるで違った社会体制を生きることになるのですが、金時鐘
んは、戦前の新日本人として生きる道から、戦争の終結により、朝鮮人であることに
目覚め、活動家となったことから朝鮮を離れることになり、その後渡った日本では、
朝鮮半島の北と南に分断された国にはさまれることになります。