最近の雑誌から 3

 昨日に引き続きで岩波「図書」8月号に掲載の多田一臣さんの「林家正蔵のこと」を
話題にします。
 多田さんは、当方よりも学年が二つほど上でありますが、考えようによっては大変
早熟でありまして(小学生の時に「資本論」を読んだとか、中学生の時に「文学全集」
を全巻読破した、なんてのよりも、親しみを感じるものです。)、中学生で落語に
はまり、高校生の時には落語研究会に所属し、TBSラジオの「落語名人会」の公開
録音に通い続けたのだそうです。中学校から落語で、高校の時には、当時の名人たち
の実演を聞き、たぶん、自分でも演じていたのでしょう。
 TBSラジオ「落語名人会」の陣容というのを、多田さんは次のように書いています。
「この陣容が今から考えても実に豪勢なものだった。八代目桂文楽、六代目三遊亭円生
五代目柳家小さん、四代目三遊亭円遊、それに八代目林家正蔵という顔ぶれで、昭和
後期の落語界の最高水準がそろったと言っても過言ではない。
毎月一度、これを聴きに行くことで、ずいぶんと勉強になった。最初は桂文楽の完成
された至芸に圧倒され、次第に正蔵の芸に魅かれるようになっていった。」
 多田さんの高校時代でありますから1964年くらいでありますね。
 当方は、田舎でありましたので実演なんてのは見ることなく、まともな落語を聞く
こともなしでありました。TVにでてくるのは、「お笑いタッグマッチ」という昼に
やっていた不思議な味わいの番組(それこそ「落語芸術協会」の会員さんによるもの
で、とぼけた 小せんとか、後の十代目 桂文治が出演していました。)レギュラー
の落語家と、三平で、ラジオでは柳亭痴楽などを聞いて笑っていました。
 どちらかというと、格調が高いの落語協会の咄は、なにが面白いのかわからないと
いうのが、高校のころの当方の印象であったでしょう。桂文楽が名人だといわれても、
まったく聞いていない、見ていないのですからどうしようもありません。 
 そもそも落語に笑いを求めているのですから、人情話などに関心がむくわけがあり
ません。多田さんは「ずいぶんと勉強になった」と記していますので、これは当方の
聞く姿勢とはまるで違います。(「聴きにいく」とあるのですから、最初から勉強の
ためにいっているわけです。)
 八代目 林家正蔵さんに魅せられた多田さんは、「落語名人会」と同じに、「林家
正蔵の会」にも通うようになっていました。
「いまから考えると、やや気恥ずかしいのだが、『正蔵の会』には、いつも正蔵から
何かを教わるつもりででかけていた。それで、正蔵の出番になると、毎度正座をして
聴いたものである。自分なりの敬意の表し方ではあったのだが、なるほどこれでは
柳朝のいう『異様な客』そのものであるに違いない。少なくとも落語を聞く尋常な態
度でないのは確かである。」
 正蔵という落語の名人に対する尊敬の念が良く伝わってきて、たいへん共感がもて
るものです。この文章には、どうして正蔵がすごいのかということが細かく書かれて
いるのですが、正蔵は長命でありましたので、その風貌とか語り口調などもTVで目に
することができました。