ピーチな旅 5

 昨日は足立巻一さんの「学芸の大阪」から「町人学者兼葭堂」の一部を引用して終わり
ました。足立さんが紹介するコンパクトなものを見ますと、よく頭に入ってきます。
これに力を得て、中村眞一郎さんのものに手をだしますと、まるで楽しくなかったりする
のですよね。
 兼葭堂は、本業は酒造業者であったとあります。仕事をきちんとしながら、学芸にも
打ち込むのですが、それはもちろん並大抵の努力でできることではありません。
兼葭堂は、自らと仲間のために「三種の規程」を作って、自らを律したとあります。
( 会津八一による「秋艸堂学規」を思い起こさせます。もちろん、兼葭堂のほうが
早いのであります。)
 足立巻一さんは、野間光辰博士の論文からの引用といって、三種の規程を紹介してい
ます。
「その一つは『草堂規条』と題するもので、自分に課した学習の日課と心構えである。
日課は毎日早朝、経書は分量は少なくても何度も誦して熟覧し、朝食後から正午までは
家業に専念する。昼食後史書を読み、故事をしるす諸書を渉し、そののちまた夕暮れま
で本業に従事する。もし余暇があれば多くの学者の書を集めてこれを研究する。・・
 家事はもとより廃してはならず、父祖を奉じて子孫に遺すべきことなので、おろそか
にしてはならぬが、ただぐずぐずしてわずかな時をおしまぬことを深くおそれる、と
自戒している。また、私用があって外出するときは朝出て昼までに帰り、臨時の雑用で
やむを得ず外出するときにも夕方までには帰宅するようにし、夜の外出はもとより好ま
ない、などと書いている。
 その二の『草堂会約』は会友のための規約であるが、秩序と時間の厳守が述べられる。
その三の『草堂規条』は一般見学者のための規則で、ここではこの草堂をもうけたのは
本業の余暇に学術研究を進めるためであり、自分が集めた書物も学友と共有すべきもの
で、世間でよくある万巻の書を秘蔵するのは自分の恥じるところである、と学問観を
披瀝している。
 ここにはきびしすぎるほど誠実と勤勉とが強調されるとともに、学問の自由と解放と
がうたわれているのである。」
 兼葭堂が所在したのは、大阪は西区堀江 いまは中央図書館がある場所の一角だそう
です。このように自分にきびしかった兼葭堂は、「学芸に次第に身がはいり、店の事は
支配人まかせにした」せいで、奉行所から「家屋、酒造道具をすべて没収され、追放
という厳罰」に処されるのですが、これまた後世の人への教訓でありましょうか。