小沢信男著作 229

 小沢信男さんが稲垣足穂さんを描いた「超俗の怪物」の読んでいて、日本自動車学校
での足穂と小沢さんの御父上の足跡と、その後を見ていましたら、小沢さんの小説
「ひとのせぬこと」(初出「社会新報」1969年1月8日 「若きマチュウの悩み」収録)
を思い出しました。
「ひとのせぬこと」は、「岡山県都窪郡垂穂村の造り酒屋の山清の若旦那 剣持清司と、
同家の樽づくり職人の戸田岩蔵の、三年ごし奇妙な共同作業」の話であります。時は、
「明治二十四年四月」でした。
 この作品の書き出しは、次のようになります。
「はじめて図面をみせられたとき、岩蔵はなんのことかわからなかった。だんだん説明
をきいてみると、これは酔狂というものだった。
 若旦那は、人間が空をとぶ器械をつくろうというのだ。それは翼をひろげた大きな
鳥のかたちに似るはずだった。道楽にせよ、またとほうもない。岩蔵は首をふって
言った。にんげん、むだなことはやらんものじゃ。
 そのとおり、と若旦那はうなずいて言った。これはむだなことではないね。現に
われわれがやるんだからな。・・」
 都窪郡垂穂村とあります。この作品を書いた頃には、古い新聞記事から材料を得た
りしていますので、この作品のヒントも、どこかの新聞記事にあったものかもしれ
ません。都窪郡というのは、現在の岡山県にありまして、岡山、倉敷に隣接したところ
だそうです。この村の名前は、実際にあったものではないようですが、これはタルホ
村というのでしょうか。ひょっとして、タルホが下敷きになっているかな。
「 剣持清司は、いつどんな動機で飛行器械の発明を思いいたったのか。
 彼の事跡にかんする記録は、わずかに後年の岩蔵の回顧録があるのみだが、一言で
いえば、みじかい失敗の生涯だった。
 生来奇矯な人物と遇され、総領の若旦那でありながら、家督は彼を素通りして妹婿
がついだ。この飛行器発明に失敗したあとは、万年青の栽培に凝り、ある雨の晩、
鉢をならべた棚がくずれて下敷きとなり、肺炎をおこして死んでしまった。」 
 この若旦那を足穂に、岩蔵を小沢さんの御父上に見立てて読むと、違った楽しさが
あることです。
 作中の若旦那は失意の中で亡くなるのですが、岩蔵さんは、小沢さんの御父上の
ように仕事一筋で、その世界で成功することになったのでしょうか。