小沢信男著作 153

 高田家の有名人についてであります。小沢さんによる紹介です。
「 高田浪吉は、本所区馬場町(現在の本所1丁目)の下駄塗り師の長男に生まれた。
小学校卒業後、家業に従ううちに、三歳年上の松倉米吉と相知り、短歌を詠みだす。
大正五年、十八歳で『アララギ』に入会した。
 同じ本所で働く若者同士である。だが、一家離散の都市流民の米吉にくらべて、浪吉
には両親と、弟妹らが七人もいう家庭がある。塗り下駄という高級品つくりの家業も
安泰だった。陋巷窮死の年長の友人を、浪吉は最後まで物心両面で支えた。そういう
大正の青春だった。」
 当方の亡父が、「アララギ」によっていたせいもありまして、高田浪吉という名前は
父の書架のどこかで見たことがありました。いまでは、確認もできないのでありますが、
高田浪吉という名前には、以前にも見かけて反応したことがありました。
「木下杢太郎さんは、明治四十年前期の東京における、若き知性人の感情の歴史の輝か
しい代表のように、私の中学校時代などには見えていました。高等学校の時分、私の
友人に『アララギ』に関係のある歌人が二、三人いて、私を彼ら持前の改宗熱で悩まし、
ついに青山の脳病院の一室に、ある日、無理やりに私をつれていってしまいました。
島木赤彦を中心にお歴々が居並び、何か私にはさっぱりわからぬ話題について論じ合っ
ていました。私はこの会合では島木赤彦に一門を率いる大人の風格のあったこと、横浜
の築地藤子が端麗な才媛に見えたこと、そして前垂れをした年少の高田浪吉が盛んに
気焔をあげていたことなどしか覚えていません。」
 上に引用したのは、林達夫さんの「反語的精神」の部分であります。高田浪吉さんと
林達夫さんが、このようなところですれ違っていたかと、このくだりは記憶に残って
いたのですが、これがどういう文章にあったものか、すっかり忘れていました。
今回、小沢さんによる高田家の文章を読んでいて、このくだりは、どこにあったろうかと
探したのですが、林達夫さんの代表的な文章「反語的精神」にあったとは、不覚であり
ました。
 林達夫さんは1896年生まれで、高田浪吉さんは1898年生まれで2歳年少であります。
林さんが旧制高校のころにアララギの例会につれていかれたとありますから、高田浪吉
さんは、まだ入会してまもなくだったころのようです。林さんを連れていった友人とは、
横山重さん(後の慶応大学教授)ではなかったでしょうか。
 天下のエリートであった林達夫さんにとっても「前垂れをした年少の高田浪吉」は
よほど印象に残ったようであります。