ブルータス30周年 5

 80年くらいにどのような雑誌を読んでいたのかと思うのですが、先日も記し
ましたとおりで、「暮しの手帖」とか「クロワッサン」といった女性むけのもの
が中心であったようです。いまも、この時代の雑誌というと、これらはすぐに
でてきたりします。(80年代後半には、「マリ・クレール」を買うように
なっています。)
 男性向けカルチャー雑誌というのは、やたら堅いものとなってしまいますし、
サブカルチャーとかポップカルチャーを軸とした雑誌は、どうも違うなと感じ
たのが女性誌のへと向かわせたようです。マガジンハウスのものであれば、
「ブルータス」よりも「クロワッサン」のほうが気分にあっていたということ
でしょう。
 それじゃ、当方の自宅を探して最初に見つかった「ブルータス」というのは、
どういうものであるかといえば、次のものです。

 この「秘本図書館」特集は、87年3月1日号となります。
「ブルータス」の30周年特集号をみますと、80年代の「ビッグヒット企画と
いえば、『裸の絶対温度』」とありまして、当方は、こちらの号も持っていた
ように思うのですが、これはすぐにはでてきませんでした。
 「秘本図書館」の特集号を、久しぶりに手にしてなかを見ておりましたら、
特集が始まるまえのところに「ノンフィクション」が掲載されていて、その筆者
は、猪瀬直樹とありました。猪瀬さんは、週刊ポストに連載の「ミカドの肖像
でメジャーになるのですが、そのまえには、このようなところに書いていたの
ですね。( 「ヒット・エンド・ラン」というタイトルで、「交通事故鑑定人
S氏の事件簿」と副題がついています。)
 「秘本図書館」特集には、「ヤス国の美的基準」というタイトルのものがあり
ます。筆者はヨシダ・ヨシエさんであります。このタイトルに、こめられた
メッセージを、最近の人はどう読むのでありましょう。
「ヤス」というのは、「ロン」と「ヤス」のヤスでありますので、これは中曽根
康弘(当時は首相ですか)のことですね。ヤス国というのは、日本のことでも
あり「靖国」のことでもありますか。「ロン」というのは、当時の合衆国大統領
である「ロナルド・レーガン」のことであります。二人は親しくて、ファースト
ネームで呼び合う関係であったというのが、このタイトルの前提にありです。
この文章にそえられたキャプションです。
「 冒頭に紹介した素敵なポルノ白書をまとめ、厳しい規制を進めているロンの
国だが、盟友ヤスの国でも知的水準に比べ、美的水準はなかなかに厳しい。
めげずにがんばるアーティストたちに声援を送ろう。」
 この時代には、性的表現に規制が厳しくて、まだチャタレイ裁判の影響下に
あったといえるでしょう。「ブルータス」の「裸の絶対温度」という特集は
桜田門をも納得させた『アートとしてのヌード』」とありますが、ちょっと
羽目を外すとすぐに「桜田門」から呼び出しがあったのです。(「秘本図書館」
特集には、「写真時代」の末井昭さんが文章を寄せていますが、末井さんは、
桜田門を一番挑発した一人かもしれません。)
 ヨシダ・ヨシエさんの文章には、次のようにあります。
「1979年には、神戸のサバト(正式には漢字表記)館が、19世紀末を中心に
描いた、フランツ・フォン・バイロスの画集を山本芳樹編で出したけど、神奈川
県警が摘発押収しましたね。のちに起訴猶予になったけど、この時は故堀口大学
さんら数千人の抗議署名が力になったと、最近姫路からでてる季刊芸術誌に
山口芳樹は記しています。・・・
 ワイセツそのものである国家権力は、また美神を扼殺したんですね。かくの
如く、日本のエロティックアートは受難史の渦中にいますけど、それでも果敢に
タブーと偽善に挑戦する、美術家の意識下にひそむエロスの想像力は、いくつか
成果をのこしていないわけじゃない。」
 この点においては、その後の20数年でずいぶんと対応がかわっているように
思えます。