季刊「湯川」No.4

vzf125762008-10-15

 季刊「湯川」No.4は、78年4月刊行となっています。
 会社の所在地は、それまでの大阪市北区老松町から、同じ北区
西天満4丁目となっています。 (大阪の地理に明るくないので、
よくわかりませんが、移転をしたというよりも、住居表示が実施
されて、老松町が西天満4丁目という、味気ないものになった
ような感じです。)

 前号が10月刊でありましたから、この号もでるのに半年かかっています。
この時代は、季刊というよりも、年二回というペースとなっていたようです。

 表紙画 高田博厚デッサン   

 杉本秀太郎 ペレアスとメリザンド
 三浦淳史  わたしの<ペレアス>巡歴
 田中清光  北村初雄の詩
 鎌田三平  日本の冒険小説
 有田佐市  ムッシュ・Tについて

 この号は、目次を見てもわかりますように「ペレアスとメリザンド」を特集した
ものであります。
 杉本さんの文章は、「メーテル・ランク」の戯曲を訳している時のことがテーマと
なっているのですが、書き出しは次のようです。

「春待ち遠しさにせかれた冬の夜、この戯曲を訳しはじめた。白い朝が明け、寒い日が
続いた。訳しおわったとき、春はなおいっそう遠ざかったように思われた。」
 この戯曲から連想で、「ペレアスを伴侶として、メリザンドの寡黙な魂は絵の世界に
つながってゆくもののように、私には見える。またしても絵ながら、今度はラファエル
前派の作品群である。」
「この戯曲は、1893年5月、パリのブッフ・パリジャン座で初演された。このとき、
メリザンドを演じたのは、サラ・ベルナールであった。同じ年のうちに、この戯曲は
ドビュシーのこころを奪った。音楽家は以後十二年の歳月をオペラ『ペレアスと
メリザンド』のために費やし、悦楽と苦患をこの作品と分かち合うだろう。」 

 三浦淳史さんは、ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」についてが話題です。
「 ドビュッシーのオペラ『ペレアスとメリザンド』というと、初雪を思い出す。
 それは、19・・何年かの、特定の日の初雪には創意ないのだけれど、もうそんな
 時代の詮索なんかどうでもよくなって、初雪が音もなく降り敷いている北国の
 夜更けとともに『ペレアスとメリザンド』を聴き終えた瞬間がいつまでも心象に
 残っているのである。
  そのころ、札幌の北三条通りに『ネヴォ』という喫茶店があって、ぼくたち学生は、
 そこのクラシックレコードのコレクションと毎月の新譜紹介をあてこんで、一杯の
 珈琲で、時計の針が午前の方向を示しはじめるカンバンまで、ねばっていたものだった。
 伊福部昭と故早坂文雄とぼくは、土曜日の晩には、きまってネヴォ詣でをした時期が
 あった。十時までは、いわゆる名曲がなっているので、『ペレアス』の新譜のような
 現代音楽は、店にぼくたち三人だけになった時点で、かけてもらうのである。」
 
  伊福部昭早坂文雄三浦淳史の三人で、深夜の喫茶店で、当時の先端音楽を
 レコードで聞くというのは、文字通り歴史の一齣のようであります。

 巻末の刊行案内です。

 モーリス・メーテルランク 「ペレアスとメリザンド」 杉本秀太郎

 「傑出した象徴主義ドラマの数々を制作したメーテルランクの最高傑作『ペレアスと
 メレザンド』を、いま新しい文学世界を拓こうとする注目の仏文学者 杉本秀太郎
 (53年芸術選奨受賞)の手により秀れた翻訳がなる。

  A5版 上製本カバー掛け 山本六三装画  定価1800円

  限定本 限定100部 総革マウント装仕上げ 夫婦函納め
  柄沢斉オリジナル木版画10点を挿入 定価 70000円
 
 これは相当に気合いのはいった限定本であることがうかがえることです。当時の
7万円というのは、一月の月給に同じくらいであるかな。