戦いすんで

 このところ大きな選挙が終わるたびに、世の中どうなっているのかと感じてしまう
ことです。昨日にありました都知事選挙も、投票が終わった瞬間に当選確実とでて、
これを見て驚きました。投票前の予測で、結果は見えていたということでしょうが、
もうすこし接戦になるべきが、そうはならないというのは問題はないのかなです。
民主主義を支える国民の投票行動とは、そういうものであるといえば、身も蓋もない
ことです。
 こうした傾向は日本だけのことではなく、大英帝国EU離脱国民投票とか、USA
の大統領候補選出の過程などにも見られることで、これの仕上げは11月のトランプ
ゲームであるのかもしれません。
 本日読んで見たくて、手にしたものです。とてもわかりやすいように見えて、
歯ごたえあって難しいものですが、部分的にそうだと合点しておりました。
 文章のはじめのほうにおかれている、次のくだりなどです。
「高度成長を遂げ終えた今日の私的『安楽』主義は不快をもたらす物全てに対して
無差別な一掃殲滅の行われることを期待して止まない。その両者(かっての軍国主義
と今日の『安楽』主義)に共通して流れているものは、恐らく、不愉快な社会や事柄
と対面することを怖れ、それと相互的交渉を行うことを恐れ、その恐れを自ら認める
ことを忌避して、高慢な風貌の奥への恐怖を隠し込もうとする心性である。」
 このくだりを含む文章が発表されたのは1985年9月号「思想の科学」であります。
著者は藤田省三さん。文章のタイトルは「『安楽』への全体主義」ですが、それから
30年が経過して、この「全体主義」はいよいよ完成の域に達しつつあるようです。

藤田省三セレクション (平凡社ライブラリー)

藤田省三セレクション (平凡社ライブラリー)