ソロモンの歌 2

 吉田秀和さんの「ソロモンの歌」は、明治維新以降の西欧化によって日本はそれ
以前とくらべて同じ文化的な断絶が大きくて、江戸までの文化といえば、自分の中に
あるのは、子どもの頃見た相撲とか歌舞伎であるが、そのなかでもとりわけ相撲はと
いう話につながっていきます。
 話は転じて、次のようになります。
現代日本の思考の混乱と矛盾というものは、おそろしい深所にまで達しているので
あって、近い将来に立ち直れようとは、とても考えられないくらいである。私に考え
られることは、まず、私たちがそのことをできるだけ意識する必要があろうという
ぐらいである。そのことを最も鋭く指摘したのは、夏目漱石ではなかったろうか。」
 伝統的なものを踏まえた上で、新しい文化を創造する苦しみということでしょうか。
これについては難しい話となりますので、それはあっさりとスルーして、吉田さんが
語る相撲の話を見てみることにします。
「私が書かなければならないのは、まず、そんなに夢中になっていた熱が、ある時期、
私のなかで冷めてしまい、それからは長いこと、ほとんど関心を持たずにすごしていた
ことだった。それも一つはあんまり夢中になったために、自分でも苦しくなったからで
ある。相撲に熱を上げるというのは、こどもの場合 特定の力士に熱を上げるというの
と同じことだが、そうなると彼の勝ち負けが気になって万事につけて落ちつかなくなる
という結果になる。彼が大事な勝負におくれをとったりすると、その晩は眠られないの
はもちろん、それからしばらくは悪夢をみているような気持ちですごす。そういうこと
から自分を解放すること。今になってわかったことだが、これこそ私が人生で一番最初
に真剣になって戦った戦いであった。」
 吉田さんは、子どもの頃のことを書いているのですが、これは大人でありましても
同じであるのかもしれません。若い力士に感情移入をして、毎日の勝負に一喜一憂し、
まるで他のことが、手に着かなくなってしまっています。楽しみにしている相撲では
ありますが、魂の平安のためには、一日も早く相撲が無事に終わってくれることを
祈ってしまいます。