古い「図書」から 3

 古い「図書」を話題にしています。これまでの二冊は「荷風」と「漱石」の記念号
でした。一般の号で残っていたもので一番古いものとなると、どうやら1967年5月号の
もののようです。

 この号くらいから当方は「図書」を手にするようになったのですが、これが当方が
定期購読してのものであるのかは、はっきりしません。当方が親の転勤によって高校
通学のために下宿することになり、それを機に「図書」の定期購読の申し込みを親が
してくれ、それが高校二年新学期からでしたので、67年5月というと、まさに下宿生活
をスタートさせたばかりのことでした。それ以来50年近く経過し、あちこちと住まいを
変えましたので、この時代の「図書」をずっと保存していたとは思えませんです。
 当時の高校二年生は、この「図書」に掲載の文章で、どれを読んだのでありましょ
う。

 これを開きますと巻頭ページは、今とまったく同じで上段に「読む人・書く人・作る
人」があって、下段が目次となっています。「読む人・書く人・作る人」というのは、
ずいぶんと長い連載であることがわかります。
 この号の「「読む人・書く人・作る人」に寄稿しているのは、石川淳さんでありま
すが、この時の石川淳さんは「読む人」のところがゴチック体となっていて、名前の
あとの肩書きがはいるところには「読者」とあります。
 石川淳さんという同姓同名の方が、寄稿したようにも見えるのですが、もちろん
そんなはずはなくて、これは夷斎先生でありましょう。それにしても「読者」として
登場するというのは、いかにも先生らしいのかもしれません。
 この時の文章は「ゼロックス」というもので、現在は「夷斎小識」で読むことがで
きるようです。この文章の書き出しは、次のごとし。
「ちかごろ古本屋のガラス棚にときどき異なものを見かける。紙としてはごく雑な
今日の原稿紙にインクをもって、字の巧拙はさておき、ペンで書いた小説の原稿が
そこに陳列してある。正札にしるした値段はやすくない。バカなはなしである。
古本屋の料簡はなにとも知れないが、永く保存するに堪へないこの紙屑を実際に買ふ
バカがゐるのだろうか。」
 この文章は、小説を読むのなら刊本で読むのが一番で、研究のために自筆原稿が
必要ならゼロックスで写しをとれば用は足りるという話につながるのですが、この
内容であれば、「書く人」であるよりも「読む人」というほうがよろしいでしょう
か。